ねじまき士クロニクル

名もない整備士のつぶやき

キリスト教の傲慢 北センチネル島

 ナショナルジオグラフィックの記事で、インド洋に浮かぶ北センチネル島へ布教に行って亡くなった宣教師の日誌が少しだけ抜粋してありました。

 宣教師が最初に上陸を試みた際、聖書を高く掲げたにも関わらず、矢が飛んできて聖書を貫通して慌ててカヤックで避難。島に住むセンチネンタル島の人々に対して「サタンの最後の砦」「彼らはなぜ、こんなにも身構え、敵意をむき出しにするのだろう?」と布教に来た自分が歓迎されなかったことに失望していたようです。

 そんなに都合よく聖書を射抜けるかどうか、奇跡好きなキリスト教徒の創作かもしれないと疑う私はもうだめかもしれません。

 亡くなった宣教師はキリスト教の考えでは未だに神の教えを知らない目覚めていない人たちに道を説こうとした志半ばで倒れた殉教者です。敬虔なキリスト教徒は「サタン」という表現をよく使います。神々を信仰したり精霊を崇拝する行為(つまりキリスト教を信仰しないこと)は一部のキリスト教徒にとってはサタンの仕業に思える様です。宗教は敬虔であればあるほど、他の宗教や他者の思想には不寛容になります。

 一方、今回の事件の舞台のインドでは1990年代の始めまでは、島に生きる人たちを「平定」しようと試みていたようですが、接触がもたらす伝染病などを理由に接触することをやめています。周囲の海域に立ち入ることを法律で禁じてさえいます(今回の宣教師は地元漁師にお金を積んで違法に島へ出かけています)。コロンブスアメリカ大陸に来てから何が起こったのかを知っていれば、この島に住む人たちを尊重しているのはどちらなのかわかるはずです。尊重も何も宣教師にとっては神の教えを広めて改宗させることが最優先事項なのかもしれませんが。

  英語の報道を読む限り、宣教師の身内の方は、島の人たちを許しているようです。さらに島へ渡るのを手伝って逮捕された漁師の減免を求めています。

“He loved God, life,helping those in need and had nothing but love for the Sentinelese people”

(彼は神と人生を愛し、困っているに手を差し伸べ、センチネル族の人々のためにただ愛を伝えるだけだった)

 その一方、とある研究者はこう言っています。

 “This is one of the most vulnerable tribes on the planet”

(彼らはこの地球上で最も傷つきやすい民族)

 求められていない善意の押し付けは誰かにとっては社会的肉体的な死の贈り物になる可能性すらあります。キリスト教側の意見を知りたいです。

 

センチネル族は、世界で唯一、自分たちだけの島に住む未接触部族である。

 

 ナショナルジオグラフィックの記事にあった一文が目を引きました。この人たちだけの世界が奇跡的に現在でも存在していて外との接触を拒んでいる。それでもキリスト教を布教しに行くことに対して、キリスト教徒は何を思うのか?