ねじまき士クロニクル

名もない整備士のつぶやき

セゴビア 記念の0ユーロ紙幣

ローマ人の物語 賢帝の世紀』に出てくる小プリニウスの手紙より

後世の人々は、われわれを記憶してくれるであろうか?

記憶される価値は、われわれにだって少しはあると思うのだが。我々の天分によるとは言わない。そう言ってしまっては、傲慢すぎる。だから、われわれの勤勉、われわれの熱意、われわれがいだいている名誉を重んずる心、によると言おう。

それらを胸に抱いて精勤を続けていくのが人生だが、少数の人はその中でも、光り輝く名声を獲得できるだろう。だが、それ以外の多くの人々でも、少なくとも無名や忘却から救い出される価値は、あると思うのだがどうだろう?

  古代ローマについて考えるときはいつもスペインのセゴビアの水道橋を思い浮かべます。マドリードからセゴビアの街、そしてセゴビアの水道橋へは迷うことはありません。セゴビアに行きさえすれば街の中心が水道橋だからです(鉄道の駅はかなり外れにありますが)。水道橋を中心に街が作られたと言ってもいいかもしれません。水道橋を入り口とすれば、街の中心にカテドラルがあって、街の端っこには白雪姫に出てくるお城のモデルにもなったというお城(アルカサル)があります。二つの建築物は作られた時代は違えども、遠く離れた水源から運ばれてくる水の終点はアルカサルの貯水槽だったそうな…

  スペインにキリスト教イスラム教も存在していなかった2000年も前に、公共のために大規模なインフラがなされた事実。ピラミッドではなく、古墳でもなく、教会でもなく、モスクでもなく、多数の人々の生活の利便性向上のために大規模なインフラを整備していた人々がいたという事実。そしてそのローマ人は1人もいなくなってしまっている事実。

 ローマ帝国の宗教がキリスト教になってから以降はローマ帝国全域で公共工事が盛んになることはありませんでした。公共の建築物の資材がキリスト教の教会の資材に転用さえされています。公共へ奉仕する意欲の衰退でしょうか?現世よりも来世を重視した宗教の結末でしょうか?それとも激化した蛮族の侵入の結果でしょうか?

 現代でも、2000年前のローマ帝国の一地方の生活水準以下の暮らしを営んでいる人が途上国にはいます。途上国の大多数はキリスト教イスラム教です。これらの国のインフラが十分ではないのはなぜなのか?信仰が足りないのか?為政者の意欲が足りないのか?植民地時代のせいなのか?個人の問題なのか?お金の問題なのか?死後の世界が楽園ならばいいのか?誰か答えを知っていたらわかりやすく教えてください。

 そんなことをぼんやりと考えるときはいつも、キリスト教が存在していなかった頃のローマ帝国セゴビアの水道橋を思い浮かべてしまします。日本ですら、2000年前の古代ローマの生活水準に追いついたのは江戸時代だそうです。現世の生活水準の発展に寄与するのは宗教なのかそれとも平和なのか…

 

 とにかく、観光案内所で忘れないように記念にセゴビアの0ユーロ紙幣を買いましょう。0ユーロの紙幣が2ユーロで買えます。橋は何かと何かを繋げて渡すものでありEUの理念に沿った建築物なのでしょう。0ユーロなので全く使えませんが。なかなかいい商売です。

  セゴビアの水道橋の中央には聖母マリア像が祭られています。中世に修復された際に置かれたそうです。キリスト教ローマ帝国の関係を考えたら何とも言えない気持ちになりますが。