ねじまき士クロニクル

名もない整備士のつぶやき

オメラスから歩み去る人々 終わらない寓話

 最近、ル・グウィンが亡くなったということを知りました。作者の父親は文化人類学者で、母親は最後の生粋のインディアンの伝記を残しています。ジブリのあの「ゲド戦記」の作者です。

 「オメラスから歩み去る人々」は、ここではないどこか、むかしむかしで始まるおとぎ話の中にある理想郷オメラスの寓話です。読者の想像できる限りの夢の国です。作者もオメラスに関してそう言っています。

 

ひょっとすると、あなたがたがめいめい自分の好きなように、自由な創造を加えてくださるのが、一番いいかもしれない。

 

ここには国王はいない。彼らは剣も使わず、奴隷も置いていない。彼らは野蛮人ではない。私は彼らの社会の規則や法律を知らないが、それがふしぎなほどに数少ないという見当はつく。君主制奴隷制が排されているだけでなく、ここには株式市場も、広告も、秘密警察も、爆弾もない。

 

私の考えでは、この都の街路にも上空にも、自動車やヘリコプターは見あたらないはずだ。オメラスの市民が幸福だという事実から推すと、当然そうなる。幸福の基盤は、なにが必要不可欠か、なにが必要不可欠でも有害でもないか、なにが有害か、それを正しく見きわめることにあるからだ。

 

オメラスにこれだけはないと私が知っているもの、それは心やましさなのである。

                 

オメラスの美しいある公共建造物の地下室に、でなければおそらくだれかの宏壮な邸宅の穴蔵に、一つの部屋がある。部屋には錠のおりた扉が一つ、窓はない。わずかな光が、壁板のすきまから埃っぽくさしこんでいるが、これは穴蔵のどこかむこうにある蜘蛛の巣の張った窓からのお裾分けにすぎない。

 

その部屋の中にひとりの子どもが坐っている。男の子とも女の子とも見分けがつかない。年は六つぐらいに見えるが、実際はもうすぐ十になる

               

その子は知的障害児だ。それは生まれつきの欠陥かもしれないし、また、恐怖と栄養不良と無視された境遇のために知能が退化したのかもしれない。

                

その子はもとからずっとこの物置に住んでいたわけではなく、日光と母親の声を思いだすことができるので、ときどきこう訴えかける。「おとなしくするから、出してちょうだい。おとなしくするから!」彼らは決してそれに答えない。その子も前にはよく夜中に助けをもとめて叫んだり、しょっちゅう泣いたりしたものだが、いまでは、「えーはあ、えーはあ」といった鼻声を出すだけで、だんだん口もきかなくなっている。その子は脚のふくらはぎもないほど痩せ細り、腹だけがふくらんでいる。食べ物は一日に鉢半分のトウモロコシ粉と獣脂だけである。その子はすっ裸だ。しょっちゅう自分の排泄物の上にすわるので、尻や太腿にはいちめんに腫れ物ができて、膿みただれている。

 

その子がそこにいることは、みんなが知っている――オメラスの人びとぜんぶが。なかには自分の目でその子を見た人びともいるし、また、その子がそこにいるという事実を知るだけで満足している人びともいる。どちらにせよ、その子がそこにいなければならないことは、みんなが知っている。そのわけを理解している者、いない者、それはまちまちだが、とにかく、彼らの幸福、この都の美しさ、彼らの友情の優しさ、彼らの子どもたちの健康、学者たちの知恵、職人たちの技術、そして豊作と温和な気候までが、すべてこのひとりの子どものおぞましい不幸に負ぶさっていることだけは、みんなが知っているのだ。

                

このことは、子どもたちが八歳から十二歳のあいだに、理解できそうになったときを見はからって、おとなの口から説明される。

 

う説明されても、やはり彼らは怒りと、憤ろしさと、無力さを感じる。その子のために、なにかをしてやりたい。だが、彼らにできることはなにもない。もしその子をこの不潔な場所から日なたへ連れだしてやることができたら、もしその子の体を洗いきよめ、おなかいっぱい食べさせ、慰めてやることができたら、どんなにかいいだろう。だが、もしそうしたがさいご、その日その刻のうちに、オメラスのすべての繁栄と美と喜びは枯れしぼみ、ほろび去ってしまうのだ。それが契約の条件である。

 

 

 理想郷であるはずのオメラスからは、時々町を去る人がいます。オメラスから去る人は誰もがみんなひとりきりで街を出ていきます。そして二度と帰ってきません。

 オメラスに住む人たちは誰もその行く先を知りません。でもオメラスから去る人たちは自分たちの行く先を知っています。

 

 ハッピーエンドで終われない寓話を読んで、真っ先に思い浮かぶのは現実の南北格差でしょうか。日本人である限り、地下室の子どもの上に生活が成り立っていると言ってもいいかもしれません。多かれ少なかれ。

 

 自分が地下室の子どもじゃないことに感謝するでしょうか?

 今の幸せのために地下室の子どもを見て見ないふりしますか?

 それとも自分だけオメラスから歩み去りますか?

 それともそれとも地下室から子供を出して理想郷をぶっ壊しますか?

 

 私はオメラス生活を楽しむであろう心やましい小市民です…