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公務員が外国人 ルワンダで日本人の場合

 去年、どこかの蓮舫さんが二重国籍で問題になっていましたが、そもそも外国人が公務員になるというのは正常なことなのでしょうか?外資系の企業ならばトップが外国人ということは珍しいことではないかもしれませんが、国の機関のトップを外国人が担うということは根本的に意味が違います。仮に警察のトップが中国人になったら?司法のトップが韓国人になったら?総理大臣が外国人になったら?もしかしたらそのときは日本じゃないかもしれませんね。それとも外国人がトップでもちゃんと仕事してくれたら問題ない?

 日本人が外国の公務員のトップになったという貴重な体験を綴った本があります。

今から50年以上も前、戦後からまだ20年しかたっていない1964年東京オリンピックの頃の話です。日本人の銀行家が、遠くアフリカのルワンダ中央銀行の総裁に就任しました。ルワンダはアフリカの真ん中になる、四国よりも大きく中国地方よりは小さい鉱物資源とコーヒーなどの農産物に頼っていた内陸国です。

 中央銀行の総裁と言えば日本で言えば黒田総裁です。逆に考えれば、日銀の黒田総裁のような役割を外国人が行うということです。金利政策も黒田バズーカも誰か外国人が考えたものになってしまいます。

 もちろん銀行のトップは重責です。これは途上国だろうが先進国だろうが変わりません。政策によって、国を豊かにすることもできれば、下手すれば誰かに不幸を強いてしまう可能性もあります。それだけ重要な国の中枢を異国の人間が行うというのはどういうことなのか?

 

聞いたこともないルワンダ中央銀行にゆかないかという話を、国際通貨基金からはじめて受けたのは、昭和三十九(一九六四)年九月の通貨基金東京総会の際であった。そのときは非公式の話であったし、たいして気にもとめなかったが、同年十二月三十日、通貨基金から正式に日本銀行に、私をルワンダ中央銀行総裁として派遣してほしい、と申入れの電報がきたときは、東京総会の宴会でバリッとした服装の黒アフリカ諸国の代表に混って、モサリ服に襟のすり切れたワイシャツ着用のルワンダ代表に会ったことを思いだし、これはひどいところにゆくことになったと思った。日本で調べても、ルワンダの事情はなにもわからない。乏しい資料で想像できるのは大変貧乏な国、典型的な発展途上国というだけである。

 

それに最大の輸出物資がコーヒーとのことである。ただでさえ世界的に過剰のコーヒーを、千八百キロという長距離を陸上輸送して輸出するのであるから、ルワンダの手取外貨がいかに少ないかが容易に想像される。ほかの条件が等しいとしても、ブラジルに比べて陸送距離が非常に長いのであるから、ルワンダの農民はコーヒーに所得を依存するかぎり、ブラジルのコーヒー農民の低い生活水準より、陸送運賃分だけさらに低い生活水準を、今後も甘受しなければならないことになる。

 それでは中央銀行のほうは動いているかと聞いたら、初代総裁は着任直後病気になって事実上なにもしていないから、中央銀行を組織するのはあなたの仕事で、はじめから建直すつもりでやってほしいとのことである。 

  

著者は幸運にも大統領からかなり自由な権限を与えられました。異国の人間にも関わらず個人的な信頼関係を築いていたことがうかがえます。やはり仕事の基本は人間関係です。本書を通じて、ただのお抱え外国人ではなくルワンダに溶け込もうとする姿勢がうかがえます。教養や文化を通じてその国を見ないと何も見えないのかもしれません。

 

このあいだに私自身に関する事件が二つ起った。二月十日、私は総裁任命の大統領令を受けとったが、同日国際通貨基金から、大統領の要請で任期を来年五月八日まで延長するという手紙を受けとった。そこで私は、大統領に二月十六日に挨拶に参上した。大統領は小柄であるが眼の鋭い方で、挨拶がすむなり、「中央銀行ルワンダ国民の福祉のためにある銀行であるから、そのように運営してほしい。現状は必ずしも満足すべきものでないから、早く設立の目的にそって活動できるよう建直してほしい。そのやりかたは総裁、あなたに委せる。私が委せるというのは、あなたが必要と思うこと、よいと思うことはどしどしやってもらいたいということだ。私や大蔵大臣に相談される必要はない。これはほかの大臣にもいってある」

                

といわれた。私はこれに対して、「外国人である私を中央銀行総裁に迎えられたのは、その必要があってのことと思います。私に中央銀行の建直しを一任されるというお言葉は非常にありがたく存じます。しかし中央銀行を建直すことのほかに、その運営の問題がありますが、これは技術的な問題ばかりでなく、政府の根本政策に合致するよう行なわれねばなりません。私は外国人でありルワンダの事情を知りませんので、その点についてはよろしくご指導願います」と答えた。

 私はこの会見で、少なくとも中央銀行の運営について、政府からよけいな干渉はされないという保証を得たのである。

 

 当時は本当に何も物がなかったようです。中央銀行総裁の住む家と言えども急ごしらえで準備されたものでした。周りにも何もなかったようです。私の家の方がよっぽど快適です。陽当たり良好、家賃は気持ち、駅から徒歩10分です。近くにおいしいラーメン屋もあります。それでも、たぶん今のルワンダはそこそこなはずです。

        

当時のキガリの物資の欠乏は想像を絶するものがあった。第一商店といえるほどのものは数軒しかなく、全部インド人またはアラブ人の経営であるが、薄ぎたなくてとても入れるものではない。一番大きな店はラジャンという、ケニア生まれの回教徒インド人経営のものだが、並んでいる商品は反物が若干、日本製ワイシャツ二十枚程度、あとは缶詰、洋酒があるだけである。ひげを剃るための鏡を買いにでたら、町中探してやっと見つけたのは、ガラスが割れ、縁が錆びていたものだった。やかん、鍋の類もない、食器類もない。ないないづくしのなかでトイレットペーパー、石鹼、歯磨きはあった。私が仕事をするための鉛筆、用紙類は全部日本から送ってもらったものである。

  大統領のご自宅を訪問した際にはお子さんが出迎えてくれたそうですが、裸足だったそうです。良くも悪くも、現在のルワンダの大統領ポール・カガメを日本人が訪問したらたぶん武装した誰かが軍靴で出迎えるはずです。現大統領によってルワンダの国は豊かにはなっていると思いますが…

  著書はお金のことを考えるだけではなく、道路インフラの導入も行っています。途上国は言うまでもなくインフラが整っていません。インフラが整っていたら途上国ではないのかもしれませんが…

 2000年以上前にローマ帝国の辺境でも達成していたようなインフラが、21世紀のアフリカの辺境では未だに整っていません。公共の福祉やインフラにかけるお金や熱意やが徐々に薄れて、国民に平和も約束できずにローマ帝国は衰退しましたが、アフリカの途上国ではインフラに対する概念はそもそもまだないのかもしれません。

 

最後に私は、各都市間の定期交通便の創設を提案したが、これについては別章で述べる。

 

途上国が後進経済から脱却する道が自活経済から市場経済への転換であれば、流通機構の整備が肝要なことはいうまでもない。また市場経済への転換過程が始まった途上国が恒常的な経済発展をするためには、民族資本の継続的形成が不可欠である。じつは私はルワンダにいく前から、アジア諸国との接触をつうじて、戦後の途上国発展の論議において、外貨の役割と工業化の必要とが過当に重視され、民族資本の育成と流通機構の整備という地道で手近な問題が忘れられているのではないかとの疑問をもっていた。そしてルワンダの経済再建計画を計画し、実施していく過程で、この疑問は確信にまでなったのである。

 

新バスを迎えたルワンダ人は狂喜した。ことに新路線が開かれた地方の人民の喜びようは大変なものであった。長田、山田両君の努力で、運転手の訓練とダイヤ厳守が徹底し、バスは毎日ダイヤどおりに正確に運行されるようになった。そのため乗客数は飛躍的に伸び、時には五十八人乗りのバスに九十人以上もつめこむことが起り、定員超過による事故が現実の危険となってきた。そこで一九六九年に十台、一九七○年に十台追加発注され、今では四十台の日産ディーゼルバスが、ルワンダを正確に走っているのである。この定時運行はいまやルワンダ人のあいだにすっかり定着し、途中から途中の利用者も増えた。バス公社は乗客の著増で毎年収益をあげるようになった。

 

 

 ルワンダに行ったことがないのでわかりませんが、このインフラに対する概念や資産が現在も受け継がれていることを切に願います。バスを購入するという支援だけではなく整備士の派遣も行っています。

 継続しないインフラや無計画なインフラはむしろ悪です。良くも悪くもインフラの状況はに人々の意識はどうしても影響を及ぼします。不定期にバスが運行しているのと、定期的にバスが運行しているのとでは雲泥の差です。

 著者はその後、経済政策とインフラ振興に足跡を残して惜しまれつつルワンダを去ります。外国人があまりにも長い間、行政のトップに居続けるのはやはりその国の国民にとってはいいことではありません。自助努力の放棄や新しい人材の芽をつぶすことにも繋がりかねません。そして行政の機能をその国の国民が担えないようであれば「独立国の資格がない」と著者は述べています。もしかしたら世界には独立国の資格がない独立国がいっぱいあるのかもしれません。どうか日本が独立国の資格がありますようにと思います。

 

一九六七年には、私は同年末で総裁をやめて帰国するつもりでいた。同年五月、ビララ君がハビさんの後任として副総裁に任命されたので、後任の問題はないと考えたのである。しかし大統領はどうしても経済再建計画が定着するまでいてくれといったので、私は任期の一年延長を承諾したが、その後毎年同じことがくりかえされ、ついに一九七一年一月まで六年間、ルワンダに勤務することになったのである。私が早く帰国したがっていたのは決してルワンダがいやになったわけではない。また総裁としての仕事がなくなったからでもない。いわんや日本に、日本銀行に早く復帰したいからではない。

 中央銀行という重要な国の機関は当然その国の人が総裁とならなければならない。外国人が総裁となるのは特別の必要がある場合に限られ、その特別の必要がなくなったとき、ただちに国民から総裁を任命すべきであるというのが私の考えであった(これは国際通貨基金もまったく同意見であった)。それではその特別の必要とはなにか。中央銀行の運営はそんなにむつかしいことではない。これが国民にできないようでは、独立国の資格がないといわれてもしかたがない。技術面は外国人技術者を傭えばよいのである。ところが中央銀行を新しくつくるという仕事は、特殊の能力を要することである。一般的にいってこの「組織する」という能力は途上国に欠けていることが多い。

 

 巻末には著者のルワンダ虐殺についての所感もあります。著者がいた時から20年後に内戦を起こすような国には、作中とても見えませんでした。

 最後に途上国で働いていた際の著者の心構えを。

 

なるほど中央銀行の現状は想像を絶するくらい悪い。しかしこれは逆に見れば、これ以上悪くなることは不可能であるということではないか。そうすると私がなにをやってもそれは必ず改善になるはずである。要するになんでもよいから気のついたことからどしどしやればよいのだ。働きさえすればよいというような、こんなありがたい職場がほかにあるものか。ベッドのなかでこう考えつくと私は、苦笑しながらも安らかな気持で寝についた。

 

 

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

 

 ルワンダなどの事情についてはこちらが詳しいですがかなりのボリュームです。ルワンダだけではなく帝国主義全般についてです。90を越える物理学者の先生ですがブログにて意見を発信されています。

 

私の「闇の奥」

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