ねじまき士クロニクル

名もない整備士のつぶやき

なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか 呉の場合

 特に商店街に興味はありませんが、広島の呉市の商店街のことが書いてあるとあったので読んでみましたが…全国各地にある衰退中の商店街がある地域に住んでいる人たちがぼんやりと感じていることが書いてあるだけです。呉市の人は読んでみてもいいかもしれません。10年前の呉と今の呉市、どうなっているかわかります。

 

第1章で、商店街の状況として、「繁栄している」商店街がほとんどないことを紹介したが、その数少ない繁栄している商店街の多くが、この超広域型の商店街である。逆に、郊外などに店舗が増えすぎた〝オーバーストア〟の影響をもろに受けているのが近隣型、地域型の商店街ということになる。

  衰退しているほとんどの商店街がこれです。呉の商店街もそのうちの一つです。近くの大都市の商店街に客足を取られ、ネットでなんでも注文できる今では実店舗に足を運ぶ魅力がだんだんとなくなっています。

 

 そもそも政治や行政はどうして商店街の「まちづくり」活動を支援するのだろうか。日本の人口が増え、経済が拡大する中においては、商店街の街区の整備は行政が主導するのではなく、商店街の組合が中心となって進めるほうが、費用面でも手間の面でも効率が良かったということが挙げられるだろう。

 また、地域における買い物の場が商店街であった時代においては、商店街が整備されることは、買い物客として商店街を訪れる多くの市民にとっても良いことだったので、そこに補助金という形で税金を投入することも納得されやすいものであった。ただし、これらはまだ「街づくり」だった頃の話である。

 それに加えてもうひとつ、政治の事情がある。政治が商店街を支援したのは、市町村といった自治体レベルでは、商店街が票田として機能していたからである。

 消費の中心地であった頃の商店街は、店が多いだけでなく、店主の家族は商店街内もしくは近隣に居住していた。従業員を雇用している店も多かったので、その家族まで含めるとかなりの票を持つことになる。さらに、組合としてまとまっているため、集票が行いやすい。市長や議員にとって商店街の組合は、選挙を意識する際には重要な存在だったのである。

  商店街を活性化するためにはタウンマネージャーという存在が必要だと盛んに営業しています。そもそもタウンマネージャーという存在がどんなものかわかりませんでしたが親切にも説明してくれています。

 

ウンマネージャーとは、地域に根付き、商店街活性化の業務を行う専門家のことである。商店街エリア活性化機構には、このタウンマネージャーの常勤が必須となる。地域のニーズを見出し、それをつなげ、コンサルティングし、後押しして実現につなげていくには、常に地元で活動し、相談に乗れる人材が必要だからだ。

 商店街エリア活性化機構の要件のひとつである専門性は、このタウンマネージャーに専門知識の後ろ盾があれば解決できるので、優れたタウンマネージャーを雇用することが、商店街エリア活性化機構の要になる。

 

  そして、筆者はコンサルタントのような肩書で呉市の商店街の活性化に2003年から3.4年ほど関与していたようです。

 呉市の2003年。まだ呉そごうがあって、駅の港側にはゆめタウン大和ミュージアムも鉄のくじら館もないころです。呉市を舞台とした「海猿」が公開される一年前になります。2003年から比べれば駅の裏側はかなり活性化したかもしれません。休日になると他県のナンバーの車やバイクを見ることも増えました。しかし呉の商店街は?著者が呉市の商店街に残したものは市民の側から見れば何もないかもしれません。

 

広島県呉市での活性化の挑戦

 このように、商店街活性化の新たな方法を考察してきた私が、それまでの経験をすべて投じて試したのが、2003年から関与した広島県呉市中心市街地、つまり中心部の商店街活性化事業である。

 ここでは、本書でこれまで述べてきた、「商店街の組合によらない」「外部の人や団体との連携」そして「店舗を増やすことによる商業地としての向上」を行うことができ、一定の成果と、それ以上の手応えを得ることができた。

 ただし、この呉市でのとりくみは、最終目標である「商店街が商業地としての賑わいを取り戻すこと」にまで至ることはできなかった。事業の終了後に、その効果は薄れてしまい、現在の呉市の中心商店街は決して活性化しているとは言えない状況にある。

 ここでは、呉市中心商店街が活性化したとりくみに合わせ、その後の失速の原因についても述べていく。

 

 防犯カメラの設置がもたらしたもの

 2004年、再スタートして2年目に入った呉TMOは、防犯カメラの設置を企画した。実は呉市は映画『仁義なき戦い』の舞台になった都市で、活性化事業を始めた時期でも夜になると商店街のアーケードの下に黒塗りの外車が並ぶという場所だったからだ。出店者を集めるためにも、商店街の安全性向上は欠かせないことだった。

防犯カメラ設置の効果は絶大で、それまで夜中に並んでいた黒塗りの外車は、防犯カメラの監視範囲から姿を消した。

 

 呉市と聞いて『仁義なき戦い』を持ち出し治安の話をするあたり、筆者はテレビや映画に必要以上に影響されてしまうタイプなのかもしれません。そんな危険な呉の商店街を仁義なき暴漢から守るために、タウンマネージャー主導で企業からの寄付と募金を600万円分集めて防犯カメラを設置。治安向上。活性化に成功。らしいです。本当でしょうか?

 気になってネットでこの著者が連れてきたタウンマネージャーについて調べてみましたが、元々は防犯カメラや万引き防止器などを小売り店に営業している営業ウーマンだったようです。防犯カメラがあろうがなかろうが、黒塗りの外車は気にしません。広島の並木通りのあそこで黒塗りの外車に乗ってくるくるする人たちは防犯カメラを何とも思っていないでしょう。広島の商店街は明らかに呉よりも治安が悪そうですが、それでも広島の商店街は栄えています。老若男女たくさんの人が歩いています。もしかして防犯カメラの導入ありきで活動をしていたと推測するのは…おそらく私の心が黒塗りの外車よりも真っ黒だからでしょう。

 呉で活動していたタウンマネージャーは、呉での二年間の活動の結論、とりあえずの街づくりの結論として「まちが好きで、そこを誇れる人を増やすこと」と挙げています。この答えが中学生の社会の答案なら花丸をあげたいですが…そして呉の次には府中「市」の商店街のタウンマネージャーに就任したようです。

このように、専任タウンマネージャーの配置により大きな成果を上げた呉市の商店街活性化事業だったが、2006年より足踏み状態となり、その後、徐々に衰退し、設置した防犯カメラと、出店したいくつかの商店を除いて、活性化事業開始前の状態に戻ってしまう。 軌道に乗ったかに見え、実際に創業希望者、NPO、商店主、地主、行政等からさまざまな相談が持ち込まれ、連携やサポートのニーズが見えるようになる状況まで至った活性化事業が衰退に転じたことについて、当初より〝商店街活性化事業の絵を描いてきた〟私の責任は重大であり、免れるものではない。活動に参画した人や団体、商店街の将来に期待してくださった人々に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 しかし、呉市の商店街活性化事業の停滞は、本書で述べる従来型の商店街活性化事業の課題を浮き彫りにしたという側面もあるので、今後の礎とするためにも、ここで整理しておきたい。

  一定の成果を上げ、かつ今後への期待も高まっていた呉市の中心商店街の活性化が停滞し、その後衰退に転じたのは、既存の商店街の組合組織と適度に距離を置いて活動してきた呉TMOが、商店街組合と密着した活動を行わざるを得なくなったからである。

自ら呉に連れて行ったタウンマネージャーに対して、指導を徹底することができなかったことは、私の責任である。今にしても悔やまれ、かつ恥じ入るべきことだと反省している。 タウンマネージャーの人件費を確保するため、専任タウンマネージャー配置後の私は、呉市呉商工会議所と契約をせず、ボランティア的にタウンマネージャーの指導をしている立場だったことや、商店街活性化事業をPRするために、積極的にタウンマネージャーの存在を表に立ててきたことが、すべて裏目に出てしまった。  結果、呉市の商店街活性化事業は、商店街の組合と距離を保ちつつ、店を増やして商業地としての繁栄を目指す、というものではなくなった。タウンマネージャーは、既存の商店街組合を中心としたイベント等の事業をするようになったからだ。つまり、従来型の商店街活性化事業に戻ったのである。

 これまでさまざまな活性化事業を試みた上で行き詰まっていた商店街で、従来型の施策が効果を発揮することはできない。タウンマネージャーは、2年の任期が終わると、呉商工会議所から契約更新をなされなかった。

 さらにその後は、商店街組合の人選でタウンマネージャーを置くようになったため、呉市の商店街活性化事業は、組合を主体とするものに完全に戻ってしまったのだ。

                

 タウンマネージャーの活動がうまくいかなかくなったために商店街が活性化できなかったかのような言い回しです。「一定の成果を上げ、今後への期待も高まっていた呉市の中心商店街の活性化」という部分がどうも気になります。ここらへんは呉信にでも聞いた方が良いかもしれません。

 著者が活動していたのは10年ほど前の話なので、もう筆者の頭の中から呉という街は消え去ってしまっているでしょう。読書中や読後も、タウンマネージャーなる存在は、期間限定の責任を持たない口先だけの人に思えてしまってどうも駄目でした。何度も呉市での成果を謳っていますが、現実には呉の商店街は右肩下がりで衰退しています。観光などで駅の裏側に来る人は増えたかもしれませんが、これからも若い人が呉の商店街に行く未来がちょっと見えません。逆に言えば観光以外では商店街だけではなく、呉の街は生き残れないかもしれません。それでも活動が実を結んだのか何なのか表彰もされたようです。

 

呉市の中心商店街は2006年に経済産業省中小企業庁から『がんばる商店街77選』に選出され、表彰を受けた。これにより、一斉に地元マスコミからの取材申し込みがなされるなど、商店街は大きな盛り上がりを見せた。ただ、地元の関係者の多くが、活動が認められて表彰されたこと以上に、「広島市内の商店街が表彰されなかったのに、呉の商店街が表彰されたこと」を喜んでいたのは、広島市に根強いライバル意識を持ち続ける呉らしい話である。

 ですが、ここに原因があるような気がします。表彰されてもされなくても、広島では広島の商店街が一番です。表彰されようがされまいが商店街利用者にはよくわかりません。行く魅力があるかどうかです。

 人口減少中、高齢化率日本一の呉市で広島のような商店街と比べることが間違いです。戦時中は呉の方が栄えていた時期もあったかもしれませんが、もう戦争は終わっています。広島のような商店街を目指しても無理です。

 なお、この本には商店街以外の呉市の事情はあまり出てきません。この本の要約は、優れたタウンマネージャーなるものが商店街をマネージメントしたら活性化はまちがいなく、みんながハッピーになれるというものです。なお、現実では呉市で賑わっている場所は呉駅周辺か休山トンネルの出入り口、もしくは共済か労災か国立病院です。

 

 

 ここまで呉市の商店街に関して否定的なことばかり書いてしまいましたが、大丈夫です。解決策はすでに一人の市議会議員が示してくれています。呉そごうにも関連しています。

呉市 市議会議員 谷本誠一氏の平成24年6月6日のメールマガジンより

もし駅前に市庁舎を移転するとなると、中央地区商店街に役所職員が昼休みに飲食に来なくなり、大打撃を受けるでしょう。  

 中央地区の商店街に役所職員が行きやすいように役場は同じ場所で建替えられました。そごうは撤退して、雇用は確保できず、商取引も回復せず、固定資産税や法人市民税は入っていないかもしれません。しかし、市役所があの場所で建替えられたために役所職員は中央地区商店街に昼休みに行くことが可能です。商店街へは市議や役所職員が責任を持ってお金を落としてくれるでしょう。例え市庁舎に立派な食堂があっても何も問題はありません。あまり呉市と縁がない私が心配する話ではなかったわけです。

 最近あった選挙で、県知事は湯崎さんのままでしたが、呉市の首長は現職だった元国交省官僚から元財務官僚へ変わりました。これは大きな変化と言ってもいいかもしれませんね。いまから10年後の呉がどうなるか楽しみです。

 

なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか

なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか