ねじまき士クロニクル

日向の窓にあこがれて

最後までピッチに立つこと

 サッカーをしていた時に指導者に言われた言葉は今でも覚えています。

「試合終了の笛が鳴ったら同時に倒れろ」「どうせ明日は月曜日、明日の午前中動けなくても何の問題もない」「サッカーは理系のスポーツ」「(年齢別日本代表に漏れた相手のエースに対して)彼はもう日本の宝ではない、全力で当たれ」「練習試合でPKを決めて勝って喜ぶな」「ここにはロナウジーニョがいないからお前はスタメンで出場できている」

 など、なかなか独特な言葉でチームを鼓舞していた監督でした。確かに私のチームにはロナウジーニョはいませんでした。試合開始から試合終了まで走り回れる選手がいただけでした。その監督から言われた中でも一際印象に残っている言葉があります。

 

「最後までピッチに立っていることには何の意味もない」

 

 サッカーは交代できるスポーツです。そして個人ではなくチームの勝利を目指すスポーツです。改めて言わなくても特定の個人が最後までピッチに立つことには何の意味もありません。最後にチームが勝っていればそれで何の問題もありません。

 どの場面でこの言葉を言われたのかはもう忘れましたが、もしかしたらスタメンになれたことがうれしくて浮かれていた私にかけた言葉だったのかもしれません。上記の言葉以外にも色んな迷言を聞いて過ごしましたが、この「最後までピッチに立っていることには何の意味もない」という言葉が一番印象に残っています。

 目的と手段をはき違えるなということでしょうか?何か区切りの良いところまで継続することを美徳とされている社会でなかなか問題のある言葉かもしれません。「定年まで仕事を務めることには何の意味もない」「最後までやり続けることに何の意味もない」など色んな事に応用が利きそうな迷言でもあります。他の言葉は遠い思い出の言葉となっていますが、この言葉だけは今でも私の中に残っています。

 サッカーのピッチを離れたのはもう何年も前、今はどこのピッチに立っているのかはわかりません。それでも、「ピッチに意味もなく立ち続けること」はやめたいと思っています。翌日が休日かどうかわかりませんが「笛が鳴った瞬間に倒れる」くらいの姿勢で生きたいと思っています。

 もしも何かを続けようかどうしようか悩んでいる人がいたらきっぱりとやめてしまってもいいのではないかと思います。何かを辞めることを決断することは、何かを続けるよりも大変です…最後までピッチに立つことが目的なのか、試合に勝つことが目的なのか?どっちでしょうか?