ねじまき士クロニクル

日向の窓にあこがれて

引きこもり系の皇帝ティベリウス

 ローマの二代目皇帝のティベリウスは皇帝になった経緯も散々なものでした。先代のアウグストゥスは自分の血縁者に継がせるためにあらゆることを画策。それにも関わらず期待していた後継者に次々と死なれ「仕方なく中継ぎとして」妻の連れ子だったティベリウスを後継者として選びます。「中継ぎとしての皇帝」これは民衆にも元老院にも周知の事実でした。さらにアウグストゥスティベリウスの次の皇帝を血縁者のゲルマニクスと指名していました。

 ティベリウスは財政を引き締めるために先代のアウグストゥスが行っていた剣闘士試合、体育競技会、戦車競走、アフリカの野獣狩りなどの「見世物」をすることはしませんでした。皇帝がこれらを主催することに慣れていた民衆は不満を募らせたそうです。国民には人気がなかった皇帝でした。

 ただ安全保障の面ではゲルマニアからの撤退を決断、ライン川ドナウ川という事実上のローマ帝国の国境線を決定。ローマにいながらティベリウスは各地の防衛体制の再編成を実施。これは半世紀以上の間、手直しの必要がなかった優れた仕組みだったようです。ティベリウスゲルマニアで10年近く指揮を執った経験がありましたが、民衆は現場に行かずにあれこれ決定するティベリウスのことを非難したそうです。

 後継ぎと期待されていたアウグストゥスの血を引く若きゲルマニクスですが、東方で突然の死を遂げました(マラリヤ?)。「ゲルマニクスの母があまりにも悲しんでいるのでそれを差し置いて出席できない」とゲルマニクスの葬儀にティベリウスは出席しませんでした。ゲルマニクスは民衆にも兵士にもとても人気があったので、ローマ中の民衆が喪に服し、首都の機能が一か月止まったそうです。民衆の間で「ティベリウスゲルマニクスを毒殺したのではないか?」という評判が広まりさらに人気を落としたそうです。

 

 ティベリウスは女性にも人気がありませんでした。元々ティベリウスはヴィプサーニアという女性と幸せな結婚をしていました。しかし、アウグストゥスの「自分の血を継いだ後継ぎが欲しい」という思いから、無理やりヴィプサーニアと離婚させられて、アウグストゥスの娘ユリアと結婚させられました。愛のない結婚は上手くいかずユリアとは離婚。それからの30年間、皇帝にも関わらず周りに女の影はありませんでした。

 ティベリウスはヴィプサーニアを愛していて、離婚した後に街で偶然会った以降は顔を合わせるのは避けました。そしてヴィプサーニアは他の元老議員と結婚。そしてティベリウスはその元老議員を毛嫌いしていました。

 

 家庭の中でも問題が続きました。自分の仕事を肩代わりしてくれそうだった実の息子の死(後に毒殺されたと判明)。ティベリウス嫌いのアグリッピーナゲルマニクスの妻)との不和。ローマにティベリウスが落ち着ける場所はありませんでした。そして人生も佳境に入った皇帝が選んだ行動は…家出です。

 すべてを嫌って68歳だったティベリウスカプリ島に隠遁しました。ティベリウスは36歳の時にもローマでの生活に嫌気がさしたのか、上手くいかなかった結婚生活のせいなのか、ロードス島に7年間一時的に引退して自分のために勉強三昧していた過去があります。しかし、今度は死ぬまでカプリ島に隠遁しました。険悪な家庭を捨て、政治をしない元老院を捨て、カプリ島で生活することを選択しました。政治に関して元老院へは書簡で意見を表明してくるだけだったので、元老院からの評判も悪かったということです。

 島での引きこもり生活2年目に実母のリヴィアが亡くなりました。リヴィアは実母であり、アウグストゥスの妻でした。民衆は誰もがティベリウスがローマにやってくると確信しましたが、ティベリウスは「多忙」を理由に、カプリ島から書簡を一通元老院へ送っただけでローマへは行きませんでした。

 ただ、それでも各地からの情報を基にして、カプリ島から的確な政策を行っていたようです。ティベリウスにとってはローマ帝国の繁栄が第一で、元老院や民衆からの評判は二の次だったのかもしれません。

 

 10年間の隠遁生活の後、ティベリウスは亡くなりました。そのティベリウスが亡くなった時、ローマでは歓喜の輪が広がりました。そして「ティベリウスをテヴェレ河へ投げ込め」という声が広がったそうです。問題を起こした反逆者たちはたびたびテヴェレ河へ投げ込まれていますが…性格は社交的ではなく人気もなく業績も知られていなかったのか、ローマのために尽力したティベリウスも同じように民衆から認識されていたなら悲しい話です。

 

 1月から8月まではすべて神さまの月ですが、9月以降は単なる数字です。何番目の月か?という意味です。9月がティベリウスの月ではなくSeptemberなのは神様になるのを嫌ったティベリウスの仕業かもしれません。アウグストゥス(8月)の次に継いだティベリウスは、「9月をティベリウスの月にしよう」という提案にも「第一人者が十人を越えたときはどうするのか」と断っています。「国家の父」という称号も断っています。

 ティベリウスの死後を継いだ三代目皇帝カリグラ(ゲルマニクスの子)は、就任当初は民衆にも元老院にも人気があり、カエサルアウグストゥスに次いで「国家の父」という称号を得ましたが、ティベリウスの孫を殺したり、派手な興行をしてローマの財政を悪化さたり、外交をこじれさせたりして4年足らずで暗殺されました。

 ティベリウスはイエスが生まれて死んだときの皇帝です。大工の息子が死んだことは当時の帝国にとっては取るに足らないことでした。それが何十年、何百年を経てこんなことになるとは…現実主義者だったティベリウスが知ったらどう思うのか知りたいです。

 死後しばらくはローマの民衆や歴史家からはまったく評価されていなかったようですが「ローマ人の物語」を読んだら断然ティベリウスファンになるはず?です。孤独に耐えながらもやるべきことを行いどうすべきかを知っている「ローマが持った最良の皇帝の一人」かもしれません。

 日本でローマ帝国にまつわるあれこれが三国志のように人気にならないかなと思っている今日この頃です。

 「悪名高き皇帝たち ローマ人の物語Ⅶ」