ねじまき士クロニクル

日向の窓にあこがれて

ローマ人の死生観

ローマ人の死生観は、死生観などと言う大仰な文字でいいあらわすのがはばかられるほど、非宗教的で非哲学的で、ということはすこぶる健全な死生観であったと私は思う。死を、忌み嫌ったりはしなかった。「人間」と言うところを、「死すべき者」という言い方をするのが普通の民族だったのである。

ローマ人の物語 Ⅵ パクス・ロマーナ

 

 温泉好きで多神教でどことなく日本人と似ていたローマ人…今のヨーロッパ人は同じ場所に住んでいようともキリスト教を信じていたら点でローマ帝国の精神的な継承者ではありません。まぁそんなことはどうでもいいのでとりあえず温泉に入りたいです。

 時代も場所も離れているにかかわらず日本人とローマ人はよく似ていますが、死生観に関して似ているかどうかは怪しい所です。日本人は死を忌み嫌っているので、ここの部分は似ていないかもしれません。死に場所、お墓の場所にこだわるのは似ているかもしれません。死後の概念ですが、ローマ人は死者の魂がその後も墓の周りを彷徨っていると考えていました。彼らには天国と地獄でお馴染みのあの世という概念が存在せず、薄暗がりの中の冷たく、青白い魂が記憶もなく彷徨う、灰色の死者の世界があるという認識でした。現代の日本人の死後の概念は…個人の自由です。無でも復活でも転生でもなんでも信じたいものを信じている状況です。

 それでも、現代の日本は死をできるだけ遠ざけようとします。「死」という言葉をなるべく使わないように避けます。宗教が盛んではないので何よりも現世が大切です。TVや新聞には死体も何も映りません。18禁です。皆が一度はお世話になる火葬場も目に付くところには建設できません。お墓も普通は隔離された場所にあります。極端な例ですが広島の宮島にはお墓がありません。死後のお墓は対岸にありました。

 それに対してローマでは墓が道沿いや街の入り口にありました。道沿いの大きなお墓は、道から目を遮りやすくトイレ代わりにも使用されたということです。お墓の周りで、旅人相手の娼婦が待ち構えていたようです。日本人の感覚からすると…罰当たりですね。

 ローマ人の死生観は墓碑に記された言葉にも現れています。死者に対して言葉を刻むのが普通の現代に対して、ローマ人は死者が残されたものに対して言葉をかけていました。事前に用意した言葉を彫ったのでしょうか?

 「おい、そこを通る君、こっちにおいでよ。ちょっと休んでいったらどうかね?首を横にふるのかい?嫌なのかい?いずれにしても、いつか君はここに戻ってくることになるだろうよ」

 「そこの旅人よ。いまのお前の姿は、かつての私だった。いまの私の姿は、未来のお前の姿なのだ」

 「出産が私の死の原因となりました。なんと無慈悲な運命なのでしょう。ですが私の最愛の夫よ、どうか泣かないでください。そして愛情を私たちの息子へ注いでください。私の魂は、すでに空の星々のあいだにいるのですから(二五年の生涯を閉じた、ルスケティア・マトローナ)」

 「一〇〇年近く生きた演技の名人レブルナ、ここに埋葬される。生前に私は何度も死んだ!だが、このような死は初めてだ。地上にいる皆みなの健康を祈る」

 「ガイウス・ルキウス・フローリウスの解放奴隷、ルキウス・カエリウスは一六年と七カ月生きた。この墓に大便や小便をひっかける者は、天界や冥界の神々の怒りを買うだろう」

 長寿の人もいましたが若い人の墓も多かったそうです。ローマ帝国の平均寿命は男性が四一歳、女性は二九歳。驚くほど短い寿命は幼児期の死亡率の高さのせいです。男女の寿命の差は出産するかどうかの差。女性の初産の年齢が今と比べて若く、もちろん医療設備も違い、出産がまさに命がけだった時代です。もしかしたら今の発展途上国と状況はよく似ているかもしれません。それでも他の諸々は日本人が米を食べ始めたころと同じ2000年前とは思えません。その時代からすでに外科手術が行われていました。さらにローマ時代の手術用の刃物は使用後に洗われ、消毒されていたということです。脳腫瘍の穿孔手術の跡がある少年の頭蓋骨すら発見されています。何とかして命を救いたいという医療関係者の思いは古今東西変わらないのかもしれません。

 上記の墓碑は「キリストの復活」や「最後の審判」などの「概念」がまだ普及していなかったトラヤヌス帝以前に死んだ人たちのものです。墓碑を見る限り古代のローマは死を避けない、とてもシンプルな死生観だったようで少しうらやましいです。それからキリスト教が普及するとともに、死についての概念、死後の概念は変わりました。キリスト教の世界では火葬がタブーになり今に至ります。そういうことで、多少の違いはありますが古代ローマ人の死生観を理解できるのは現在のヨーロッパ人よりか、火葬が一般的でキリスト教を信仰していない現在の日本人なのかもしれません。

 

  墓碑はこの本からです。孫引きです。

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

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