ねじまき士クロニクル

日向の窓にあこがれて

関東大震災

 最近、吉村昭から離れることができません。1人の力ある作家が「ほぼ」ノンフィクションの作品を多数残してくれていることには感謝しかありません。「関東大震災」は巻末に参考文献すらあります。

 今日は関東大震災の日。今から約100年前の関東大震災の話です。社会の教科書でさらっと「関東大震災があった。心無いうわさによって朝鮮人が多数殺された」と記述されていたことは記憶していましたが…思っていた以上でした。そして同様に混乱の中で日本人も中国人も殺されていることを初めて知りました。私の頭の中での関東大震災は教科書の記載を超えるものではありませんでしたから。

 

 関東大震災が発生する前に地震学の大森教授と今村助教授の地震の予知を巡る対立がありました。

 直近の大地震の可能性を否定していた大森教授と、発生の可能性を警告していた今村助教授。結局、今村助教授の警告は世間を混乱させただけだとして、大森教授から否定され世間に受け入れられることはありませんでした。否定された今村助教授は大森教授に激しい敵意を抱き「大地震は必ず五十年以内に起る。もしもそれまでに自分が死んだら、大地震の起きたときはすぐに墓前に報告してくれ」と妻に言っています。

 それから50年も待たずに、論争から10年後に関東大震災が起こる事となりました。

 都市部の被害だけではなく、沿岸部で津波が来ていたり、列車が海に飛び込んだりしています。伊豆半島の伊東で12メートル、房総半島で9メートル、三浦半島で6メートル、鎌倉では3メートルの津波が来て被害が出ています。その鎌倉の大仏は地震の影響で、50センチ沈下して40センチ前にせり出したということです。

 横浜では市内の98900戸のうち62608戸が全焼、死者は23315名。と文中にあります。横浜が壊滅的と言ってもいい被害を受けていることは知りませんでした。神戸のようなイメージはありません。震災から立ち直った街なのか、震災を忘れた街なのか、私が無知なだけなのか…

  東京での死者は焼死者が52178名、溺死が5358名、圧死者が727名。地震そのものよりも火災による被害が甚大でした。河川が火から人々を救うとともに、人々の命を奪っています。家財を運んで逃げる人で道路や橋は渋滞、消火活動も避難もできなかったそうです。そして家財に着火して被害拡大…被災者の荷物が被害を拡大するということは江戸時代からあり、処罰規定もあったということでしたが、その教訓は関東大震災では全く生かされなかったということです。関東大震災の東京での被害拡大は、避難者の持ち出した家財によるものと著者は断定しています。

 関東大震災で最も被害者が多かったのは本所区横綱町にあった被服廠跡。広大な敷地で4万人程の人々が避難していましたが、旋風が巻き起こり、家財に火が付き、38000人が亡くなりました。東京での焼死者の70%ほどにもなります。

 他に特徴的だったのは吉原公園。死者は490名でその内女性が435名。避難先の公園にも火が迫ってきて、唯一の逃げ場である池に人々は殺到。それでも火からは逃れられず積み重なるようにして亡くなったそうです。

  今も昔も災害時に称賛される日本人の対応は外国人によって記録されています。さすが日本人ですね。

脚本家スキータレツという一外人は、横浜市内で遭遇した地震の印象を次のように記している。かれは、来日後妻とともに大森のホテル望翠楼に二カ月間滞在していたが、横浜市山の手の中村町にある借家に転居することにきめ、その日──九月一日に引越荷物をもって横浜市内に入ったのである。

日本人の群衆は、驚くべき沈着さをもっていた。庭に集った者の大半は女と子供であったが、だれ一人騒ぐ者もなく、高い声さえあげず涙も流さず、ヒステリーの発作も起さなかった。すべてが平静な態度をとっていて、人に会えば腰を低くかがめて日本式の挨拶をし、子供たちも泣くこともなくおとなしく母親の傍に坐っていた。 

 そして残念ながら、もちろん逆のことも起こっています。東日本大震災でも同様のことが報道されていました。

さらに人々は、無警察状態の中で醜い人間の行為もしばしば目撃した。火の鎮まった地域には、どこからともなく姿をあらわした者たちが死体の連なる中を歩き廻っていた。かれらは、死者の携行していた手提金庫をこわして内部の物品を掠めとり、川岸に漂着する手荷物をあさって歩いた。また死体の指から指輪を窃取することを専門にする者も多く、指輪を見出すと刃物で指ごと切りとり袋におさめる。中には、死体の口をあけて金歯をえぐり取る者もいた。

 

 教科書に載っている朝鮮人が殺された記述についてももちろんあります。最近では日本海の向こう側で関東大震災についての関心が高まっているようなので、関東大震災を熱心に研究?しているのはもしかしたら日本人よりも朝鮮人なのかもしれません。

横浜市内から湧いた根拠のない流言は、一般民衆の間で巨大な流言と化し、さらに軍と官憲によって事実と断定され、しかも全国に伝えられていったのである。さらにこの大流言は、唯一の報道機関である新聞によっても事実として報道され、朝鮮人に対する虐殺事件の続発をうながした。

 「品川に大津波襲来、一千名の死者」「上野山に津波南無阿弥陀仏を唱える声」「2日午後には上野駅が全滅、上野山は火に包まれた」 被災地の流言飛語が地方の報道機関に伝えられて裏付けを取ることなく(取れなかった)そのまま大衆に伝えられたそうです。各種の報道機関が裏付けを取らないまま情報を発信する…どこかの誰かの思い付きの文章じゃあるまいし、これは今の時代ではまっっったくあり得ないこと、考えられないことですね。情報を意図的に隠したり、印象操作したり、現代の報道機関がそんなことをするはずがありません。よね?

 地震が起きる前の話から、地震の惨状、伝染病の蔓延や人心の荒廃…震災後の混乱まで書ききっています。作者のあとがきで両親が体験した災害時の人間に対する恐怖感が「関東大震災」の執筆の動機とあります。東日本大震災を経た今、吉村昭が生きてくれていたらと思わずにはいられません。後世の人々が教訓にできるかどうかはわかりませんが、教訓になることを後世に書き残してくれたはずです。吉村昭は文中で寺田寅彦の言葉を引用しています。

文人でもあった理学博士寺田寅彦は、地震人間についての考察もおこなった。 関東大震災の大災害は、歴史的に考えれば前例が繰り返されたにすぎず、それは人間の愚かしさから発していると述べた。過去の人間が経験したことを軽視したことが災害を大きくした原因であり、火災に対する処置などは、むしろ江戸時代よりも後退していると嘆いた。

 

新装版 関東大震災 (文春文庫)

新装版 関東大震災 (文春文庫)