ねじまき士クロニクル

新種の虫たちが鳴いてる

スローターハウス5

 捕虜として囚われていたドレスデンで、連合軍の味方が行ったドレスデン爆撃に被災した体験を描いた、自伝のような反戦SF小説と言われています。とは言ってもドレスデン爆撃について、多くの紙面は割かれていません。そして直接、声に出して戦争を否定するようなこともしていません。それでもすべての文章がドレスデンに繋がっています。本人も種明かしをしているようにSF小説の形を取らないと現実の戦争体験は書けなかったのかもしれません。

このくだらない薄っぺらな本が、わたしにどれほどの金と不安と時間を強要したかは、語るに余りある。二十三年前、第二次大戦が終って帰還したころには、ドレスデンの壊滅について書くのはたやすいように思われた。見てきたことを紙に書き移せば、それでよいのだ。また題材の大きさからいって、それが傑作とまでいかなくとも相当な金になることはまちがいないように思われた。 だが当時のわたしから、ドレスデンを語る言葉はあまり出てこなかった──すくなくとも一冊の本にまとめられるほどには。息子たちがすっかり成長し、むかしの思い出とポールモールだけに生きる老いぼれとなった今も、事情はさほど変らない。

そのころから、すでにわたしはドレスデンの本を書いていると称していた。当時アメリカでは、それは有名な空襲ではなかった。それが、たとえば広島をうわまわる規模のものであったことを知っているアメリカ人は多くなかった。わたし自身、知らなかった。この空襲については、何もおおやけにされていないも同然であった。

とにかく、わたしはこの戦争小説を書きあげた。つぎは楽しい小説を書こう。これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ、なぜなら作者は塩の柱なのだから。それは、こう始まる──

聞きたまえ──    ビリー・ピルグリムは時間のなかに解き放たれた。そして、こう終る──    プーティーウィッ?

 冒頭でわざわざ作者自ら種明かしをしてくれていますが、たまたま地下の食肉加工場(スローターハウス)で囚われの身だったから助かったのであって、地上にいたら味方の爆撃で間違いなく死んでいました。地上にいた人で助かった人は殺戮の際の不手際であり、爆撃されたドレスデンの街並みを月面と評しています。

 ストーリーはあってないようなものです。痙攣的時間旅行者のビリー・ピルグリムが体験した戦争も含めた様々な事象の積み重ねです。時系列はめちゃくちゃで、脈絡もなく時間旅行(たまには空間も)しています。

 ビリーはトラルファマドール星人から過去、現在、未来の区別なく物事は存在し続けるという4次元的な思考方法を学んでいます。そして人が死んだときには、今は死んでいても他の瞬間には良好な状態であるというトラルファマドール星人から学んだ認識から「そうゆうものだ」という言葉をビリーもつぶやきます。事実、作中で死に関しての描写があるとすかさず「そういうものだ(so it goes)」という言葉が挿入されています。運命に対する皮肉のような、一種の諦めにも似た言葉にも聞こえます。

 ドレスデンの爆撃ではありませんが、ビリーが戦争映画を見ていた際に起きた時間の逆行が反戦を謳っています。

 

死者や負傷者や被弾した飛行機から敵の飛行機が銃弾を抜き取る。空襲で燃え盛る街は不思議な筒によって回収される。筒は飛行機によって回収され、女性や専門家たちの手によって二度と人々を傷つけないように地中深くに埋められる…そして兵士たちは軍服を脱ぎハイスクールの生徒になる。

 

 原文はもっと長くてもっときれいな文章です。戦争映画を巻き戻して見るという行為に何を感じるかは人それぞれです。もしかしたら何も感じない人もいるかもしれません。強烈な反戦の意思表示に感じる人もいるかもしれません。暇人の妄想と感じる人もいるかも知れません。そういうものです。

 ドレスデンの被害について正確なほどはわかりません。作中では広島以上の被害とありますが、作者の個人的な体験なのでここでは深入り不要です。解説によるとこの本が出版されるまではドレスデンの空襲については連合国側にもあまり知られていなかったとか…

 調べてみたらドレスデン爆撃は2月13日未明、つまりバレンタインデーの出来事です。これからはバレンタインデーが来るたびに少し考えることにします。空襲と個人の不幸について。

人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」