ねじまき士クロニクル

いちごの味に似ている

零戦  その誕生と栄光の記録

 日本に現存する零戦は少ない。動く零戦は恐らくもっと少ない。飛行する零戦が何年か前にニュースになっていた記憶がありますが、たぶんゼロに近いはずです。お金があれば零戦を買ってみたいですが…お金がないので無理です。

 飛行機の保存に比べて、車の場合はもっと恵まれています。例えばトヨタ博物館に展示してある車はほとんどが動態保存だと謳っています。トヨタ車ではなくても、100年近く前の車でも、部品がすでに手に入らなくても何とかして直しているのでしょう。空を飛ぶか飛ばないかの違いではなく、保存する側の姿勢と言っていいかもしれません。トヨタは車を単なる展示品としては見なしておらず、その一方、零戦は…飛ばない飛行機はただの…?

 それでも零戦の作り方、作るためのアイデアを披露している本なら設計者本人が残してくれています。これを読んだら零戦が作れるというものではありませんが、どういった背景で作られたかということがわかります。当時としては無茶な水準の要求を越えた傑作が零戦でした。零戦の出現によって世界に衝撃を与えることができました。

 それでも過去の栄光にとどまらず、現代にこれだけ影響を与えているのはその性能よりも見た目にあるような気がしてなりません。ただの工業製品としては終わらずにシンボルになった工業製品と言えます。T型フォードやバイクのZ1のように…

 文中で著者が英国の航空機評論家の言葉を引用しています。

第二次大戦において零戦は日本にとってすべてであった。零戦は日本軍の作戦を象徴し、零戦の運命は日本国の運命と同じであった

 アメリカは戦争中もカイゼンカイゼンを重ねて日本爆撃のための飛行機を開発していましたが、日本は始まりから終りまで零戦でした。初めて登場したときは航空機先進国だった欧米に衝撃を与えましたが、無傷の零戦を捕獲されたことによって研究され骨抜きにされてしまいました。零戦の技術力の優位が薄れるとともに日本敗戦の影が濃厚になりました。文字通りに日本の運命は零戦の運命と同じだったわけです…

 文中に、零戦は6年間で15425機製造されたという数字があります。想像していたよりもかなり少ない印象です。何十万台か生産されているのかと思っていました。現実を知りませんでした。一方、現在の日本での車の生産台数は年間900万台弱です。車と飛行機で違いはありますが、工業化の足跡を見て取れます。私はモノづくりもしない技術者でもない身ですが読んでみてよかったです。モノづくりをする技術者は必ず読んだ方が良いです。

私が自分の口から言うのはおかしいが、たしかに、日本人が、もし一部の人の言うような模倣と小細工のみに長けた民族であったなら、あの零戦は生まれえなかったと思う。当時の世界の技術の潮流に乗ることだけに終始せず、世界の中の日本の国情をよく考えて、独特の考え方、哲学のもとに設計された「日本人の血の通った飛行機」――それが零戦であった。こんなところに、零戦がいまも古くならず、語りつがれている理由があるのであろう。

 設計者自らが零戦に関してこのように評価しています。独特の哲学の基に作られた工業製品。使われなくなったとはいえ本来は動くもの。それが恐竜の化石のように眠ったまま展示されている。整備士として少し悲しいです。もちろん、私の家のガレージには動かないバイクが4台放置してあります。