ねじまき士クロニクル

いちごの味に似ている

広島乙女 Hiroshima Maidens

 私が男だからかもしれませんが「乙女」という言葉にはどこか特別な印象を持ちます。

おとめ座、スピカ、春になったら探してしまいます。

乙女の祈り。どこかで聞いたことがあるピアノ曲

乙女の涙。バイクでまたいつか行きたい知床にある滝です。

 坂本龍馬の姉は坂本乙女。何年か前に買った『竜馬がゆく』は読まれることもないまま、もう何年も本棚の隅に眠っています。はやく竜馬を高知から脱藩させて千葉さな子と会わせてあげたい…

 そして広島乙女。広島に住む若い乙女のことでも、俗にいうカープ女子でもありません。広島乙女とは、原爆で傷ついた顔と体を整形手術するために1955年にアメリカに渡った25人の乙女たちのことです。とはいっても、そもそもは日本公式の使節団のようなものではなく、日米のキリスト教関係者が個人的に行った事業です。

  著者はフリーのジャーナリストでしたが、広島乙女が1955年にアメリカに渡ってから四半世紀が過ぎていたのに、日本語でも英語でも「広島乙女」に関する資料がないことを知ります。それをきっかけにインタビューや資料を調べ上げて1985年に「Hiroshima Maidens」を書き上げました。

 そして、私が広島乙女という言葉と存在を知ったのはつい最近のことです。広島乙女の方たちとほぼ同年代の二人の祖母がいながら何も知りませんでした。私は四半世紀ほど広島に住んでいた気がしますが何も知らずに過ごしていました。

 幼いころの私の記憶では、はだしのゲンの中で火傷がひどくて顔にスカーフを巻いていた女性がいたような…でもそれは漫画の世界ではなくて現実です。悲しいですが、それが戦争です。原爆の外傷によって、食べること、すすること、キスをすること、そして笑うことができなくなった女性、家族に家中の鏡を隠された女性、「あなたみたいな外見なら生きていけない」と中傷された女性、家族にその存在をいないことにされた女性が原爆投下後の広島で現実にいました。

 「わたしが一番きれいだったとき」という茨木のり子の詩が教科書に載っていたことを覚えています。戦争によって1人の女性の思春期が塗りつぶされてしまった詩です。その詩のように、文字通り「彼女たちが一番きれいだったとき」は戦争によって破壊されてしまいました。被爆した女性の多くは差別を受け、結婚することさえ難しいことでした。実際に25人の原爆乙女の内、12人しか結婚していません。原爆の被害を受けているかどうか?というのは当時の広島では繊細な問題でした。同じ広島市民でも原爆の被害によって差別意識があったとか…そして原爆は被害にあっていない人にも影響を与えています。広島乙女をアメリカへ導いた谷本牧師は自分が原爆の被害に遭っていないことを少し恥じているかのようです。

One hundred thousand more were hurt. Were you hurt, Reverend Tanimoto?”

The Reverend said he was not, and confessed that indeed he was ashamed he was unhurt.

「10万人以上が被爆している。谷本さんあなたは?」

彼は被爆していないことを恥じるように答えた「いいえ」

 今の広島の若い世代には差別はない。と信じたいです。もし仮に誰かが私と結婚してくれるならば被爆何世だろうが私は気にしません。できれば広島弁を話す女の子がいいです。むしろ広島弁を話す女の子がいいです。

 You tubeで『This is your life Hiroshima』と 検索すれば谷本牧師が英語でこのインタビューを受けている映像が見られます。『This is your life』とは日本で言う徹子の部屋のような、アメリカのドキュメンタリー番組でしょうか。広島に原爆を落とした機長も出演しています。

 その番組の中で、シルエットの向こう側、緊張している様子で二人の女性が『わたくしたちはアメリカに来ることができ本当に幸せです。そして皆様がわたくしたちにしてくださることに感謝しています』と述べています。この番組は手術の資金集めのために放映されたものです。事実放送後に一般市民から多額の寄付があったそうです。心優しいアメリカ人の寄付によって広島乙女たちは整形手術をすることができました。これがアメリカのやり方です。「Hiroshima Maidens」とはアメリカの慈悲深い使命だったのです。

They are being treated surgically at Mount Sinai Hospital at absolutely no cost. Tonight we would like you to meet two of these girls.  

“for this is the American way.”

“mercy mission.”

 広島の被爆者をアメリカが治療するとなった時の広島の反応は、驚きと混乱だったようです。当時はなぜアメリカの医師たちが広島の小規模なグループを助けるのか理解ができませんでした。そして、アメリカが無料で治療してくれるのに、広島の医療関係者は被爆者に対して何もしないと公衆から非難を受けたそうです。

 実際には当時の広島の(日本の)医師には、被爆者を元通りにするような整形外科の技術はありませんでした。ある女性が医者に行って整形手術を希望すると医者から「不運にも生き残ってしまいましたね」という返答を受けました。

She would never forget the initial reaction of the doctor who examined her. Upon seeing her disrobed and without her mask on, he had gasped and rather than saying, “Youre lucky to be alive,” his comment was, “Its unfortunate you didnt die.”

 適切ではない部位からの移植によって、さらに悪化していた症例もあるようです。日本で技術の低い整形手術を受けて同様の箇所をアメリカでやり直している女性もいます。そのため、広島乙女と共に医師もアメリカに行って整形外科手術の観察と訓練を受けています。広島乙女をきっかけとして、長崎の被爆した女性や広島の男性も外科手術を受けるための同様の計画がされたそうですが、実行されることはなく計画で終わったようです。

 

They boarded a charter bus and left for the American Air Force Base at Iwakuni, a half-hour’s drive away,

  話の大筋とはまったく関係ありませんが、60年前、広島からアメリカに行く際に、やはり「岩国」の米軍基地を使っています。去年オバマ大統領が来たときにも同じ基地を使っています。今では広島にも、山深い、霧が出やすい、街から離れた、交通機関が充実している、立派な広島空港がありますが、去年はアメリカにはどうやら使われていません。なぜなんですかね…?

 

 60年前はまだアメリカと日本の距離は遠かったのか、1人の女性は飛行機でアメリカに着くなり「カウボーイはどちらですか?」と質問したようです。大半の広島乙女がローマ字で自分の名前さえ書けないくらいの知識だったそうです。

 それでも2年近くに及ぶ滞在、何回もの手術に耐えて日本とは違う開放的な生活を楽しんでいたようです。滞在期間中、25人の女性の中で1人、不幸にも手術の最中に亡くなってしまいました。25人いた女性の中で唯一のカトリック信者だったということです。彼女の死によって、このプロジェクトの企画の存続が危ぶまれましたが、残された人たちの強い意志で最後まで続行することとなりした。 

Shortly before one of the girls was wheeled into the operating room she asked Helen Yokoyama to give this message to Dr. Barsky: ‘Tell him not to be worried because he cannot give me a new face,” she said. “I know my scars are very, very bad and I know he is worried because he thinks I may expect that I will be as I once was. I know this is impossible; but it does not matter because something has already healed here inside.”

 多い人で10回以上にも及ぶ整形手術を行いましたが、完璧には元通りにはなりません。それでも、外見が完璧には元通りにはならなくても、手術をするにつれて内側の心は確実に変わっていきました。広島では家族にも腫れもの扱いをされていた女性が多数ですが、アメリカではホスト先はもちろんのこと、街ゆく人ですら優しくしてくれて、中には結婚を申し込んでくる男性もいたそうです。

 

 彼はポケットからラッピングされたプレゼントを「メリークリスマス」と言いながら取り出しました。そこには24Kの金の腕時計が入っていました。あまりにも高価すぎると彼女は受け取るのをためらいました。すると彼はもう片方のポケットから「ハッピーニューイヤー」と彼女の名前入りのブレスレットを渡しました。彼の職業はタクシードライバー、彼女は彼がそれほど裕福ではないのを知っています。結局、彼女は断りました。

 それでもあきらめない彼は、広島乙女の通訳ヘレン横山さんを通して、彼女に正式に求婚しました。彼女の返答は「一緒にいるのは楽しいけれども、結婚となると…」

 

 当時の日本とアメリカで国際結婚するということを想像するだけでも、とても大変なことだということがわかります。そもそも彼女たちは言葉も流暢には話せませんでした。今よりも国際結婚に壁があったころの話です。その一方で、アメリカと親密な関係を築いた人もいます。

One evening the cousinses’ oldest daughter explained Shigeko’s presence to a dinner guest this way: “Shigeko was supposed to be born into this family, but she was born in Japan and Daddy finally found her and brought her back home.”

シゲ子はこの家に生まれるはずだったの。でも彼女は日本に生まれて…それでも結局、父が見つけてこの家に連れ帰ったのよ。

 実際、この女性(笹森恵子さん《ささもりしげこさん》)はプロジェクトを主導していたアメリカ人の養子になっています。アメリカに渡った乙女たちの中でも特に情報を発信しているようで今でもネットでその現況を知ることができます。

 1985年にこの本が出版されてからも、彼女たちの反応は様々だったようです。メディアに対応する者、過去を懐かしみアメリカのホストファミリーを訪ねる者、固く過去を閉ざす者…考えてみれば平和親善のために行ったわけではなく、整形手術によって自分の人生を取り戻すためにアメリカに渡ったのだからそれぞれの対応は当然と言えます。それでも彼女たちの思いとは裏腹に、特にアメリカの核に関する問題が起きた時、広島乙女の方々は決まってメディアに対して意見を求められることになりました。そんな時は広島乙女の方々は口を固く閉ざしました。静かに暮らしたいと願っていました。     

 元々の出版は1985年ですが、広島にオバマ大統領が来てから書かれた「2016年のあとがき」があります。2016年にオバマ大統領が広島に来てから、急に世界が平和になったということはありません。

 オバマが来た、来ない、謝罪した、しないに囚われると戦争と原爆の本質を見落としてしまいます。戦時中「最も効率よく敵を殺す手段は何か?」と考えると、アメリカにとってそれは原爆で、日本にとってもそれは原爆でした。日本の原爆は完成しませんでしたが。今では飛行機で遠路はるばる出かけて行って焼夷弾や原爆を使用することは戦争において効率的な手段ではないでしょう。世界中でアメリカが最後に攻撃した場所は長崎ではありませんが、今のところ長崎が最後の被爆地です。原爆に関しては。今のところ。

 最後に1人の家族の紹介をしておしまいです。

今まではアメリカ兵を憎み、アメリカの飛行機を見たら家に避難し、拳を握り天に向かって「娘を返せと叫んでいた」それが今では毎日、朝日が昇るとアメリカの方角に向かって感謝する…

A dramatic conversion took place in Michiko Yamaoka’s mother. After the war she had been so bitter she would throw stones at passing American soldiers and run out of the house when American planes flew overhead, shaking her fists at the sky and crying, “Give me back my daughter.” Now, each morning upon rising, she would bow in the direction of America and voice a prayer of thanks.

Hiroshima Maidens (English Edition)

Hiroshima Maidens (English Edition)