ねじまき士クロニクル

いちごの味に似ている

教養としての「世界史」の読み方

歴史は過去のことを学ぶ学問だと多くの人が思っています。確かに歴史学者は過去のことを知るために文献を調べ、遺跡を調査し、当時の人々に関する知識を深めます。歴史という学問に知識は必要不可欠ですが、単に知識を得ることが歴史という学問の本質ではありません。われわれ学者が必死に過去の知識を学ぶのは、今の選択に役立てるためです。

 馬の世界史とローマに関する本でおなじみの著者の、世界史を通じた教養についての解説書です。自分の住んでいる地域とは関係がないし、昔のことだし、学んでも収入が増えるわけでもなく、誰かがほめてくれるわけでもなく…それでも私は歴史を学ぶことが好きです。もしも女の子に「ローマ帝国と私どっちが大事なの?」と聞かれたら迷わずローマ帝国と答えます。ローマ帝国に決まっているじゃないですか?そんなことで文句言う女の子がいたら、そんな女の子は自分の中で記録抹殺の刑にします。記録抹殺の計とはローマ帝国に実際にあったもので評判の悪い皇帝は死後…

 著者は東大名誉教授で、早稲田大学国際教養学部特任教授です。著者は国際人にも社会人にもエリートにも「古典」と「世界史」が大切と述べています。私は国際人でも社会人でもエリートでもありませんが、古典も世界史も好きです。藤原氏が出てこなければ。

 世界史を通じた教養についての本なので、馬の話やローマの話は中心ではありませんが、それらの話を叩き台にして、移民や宗教など現代の問題に歴史の中から答えを出そうとしています。最近の著者の公演ではゲルマン民族の大移動に関しての講演が人気があるようです。これも昨今の移民問題に絡んでのことです。では本題に進みます。

 有名な「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、この言葉を念頭に著者は筆を進めていきます。著者が歴史について学んだことは、実際は民衆も政府も歴史から何も学ばないということでした。歴史に関して使い古されている宿命のようなものですね。そこで著者は気づきます。

そのとき、なぜ人は歴史に学ぶことが難しいのか、ということについても深く考えました。そして気づいたのが、「人間は見たいものを見るのであって、現実そのものを直視する人は少ない」ということでした。

 この言葉、著者は出展を明記していませんが、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」からです。歴史の問題に関して答えを与えてくれたのはまたも歴史からということです。上記の言葉は「ローマ人の物語」の塩野七生さんも好きな言葉のようで物語の中で何度か引用しています。「人類全体としては歴史を教訓として学ぶことは難しいかもしれないが、せめて個人だけでも歴史に学ぼう」とというのが著者の主張です。結局のところそれが個人の教養ということです。個人よりも政府が歴史に学んでくれたらありがたいと思いますが残念ですね。   

 ローマ帝国と日本ももちろん比較対象です。ローマ帝国の絶頂期の頃、日本は弥生時代で米を食べ始めたころでした。偉大な中国文明ともまともには出会っていない頃です。

私に言わせれば、ローマとの比較に堪えうるのは江戸時代です。文明度ということでは、それでもまだローマのほうが高いと思いますが、江戸時代とローマはかなり接近していると思います。

 著者曰く日本ですら2000年前のローマと匹敵するのは江戸時代です。確かにそうです。石畳で舗装した水はけが考えられた幹線道路、上下水道、温泉…もしも江戸時代がローマ帝国だったなら…ローマ帝国の兵士たちは土木工事が得意で水泳が苦手だったので参勤交代の際の東海道も渡し舟ではなくて何とかして頑丈な橋を作っていたかもしれませんね。21世紀の今でも2000年前のローマ帝国のインフラの水準に追い付いていない地域もあります。東洋の為政者と、西洋の為政者も比べられています。

西洋では民衆の前に姿を見せることが為政者の権威につながり、逆に東洋では、民衆に姿を見せないことが権威になったのです。

本書では何度も触れましたが、西洋では、為政者が民衆に姿を見せて、さまざまなパフォーマンスをすることで自分がいかに為政者として素晴らしい人物なのかをアピールしました。その結果、民衆が喜ぶことをした人や、民衆からの評価が高い人が権威者になっていきました。それに対し東洋では、為政者は姿を民衆に見せないことで人々に畏怖の念を植えつけ、権威を構築しました。この畏怖というある種の恐怖感が権威と結びついたことが、東洋で刑法が発達していったことと密接にかかわっていたのではないか、と思うのです。

 個人的には、私は民衆に姿を見せてくれるような西洋の皇帝が良いです。可能なら温泉でばったり皇帝と会ったりしたいですよね?江戸時代の将軍と裸でばったり出会ったら問答無用で切り捨て御免されてしまいます。東洋の為政者は民衆にはあまり姿を見せないという、この東洋の思想は中国の「古典」老子にあります。

太上下知有之 其次親而譽之 其次畏次 其次之侮

最高の支配者は、民衆はその存在を知っているだけである。

その次の支配者は、民衆は親しんで誉める。

その次の支配者は、民衆は畏れる。

その次は、民衆はこれを侮る。

 もちろん中国の影響抜きに日本の歴史を考えることはできません。明らかに日本もこの考えに影響されています。民衆から離れていた為政者の東洋では江戸時代に暗殺された将軍はいませんが、民衆との距離が近かった西洋のローマ帝国の皇帝は身近な人に暗殺されたり、敵に捕らわれたり、雷に打たれて死んだりなかなか大変だったようです。為政者にとってはどちらが良かったのかはわかりません。ただ日本は東洋の歴史の影響を今も受けているとしか言えません。現在の西洋のことは…よくわかりません。現在、西洋を揺れ動かしている移民に関しても書いています。

世界史は民族移動に溢れています。むしろ日本のように、ほとんど民族移動の影響を受けていない国のほうが、世界史的には特異な存在と言えるのです。

少しずつ入ってきた場合は、ローマの文化や価値観に異民族の方が吸収されるのですが、ゲルマン民族の大移動のようにあまりにも多くの異民族が入ってくると、それまでのローマの価値観や基本的な行動規範が変わっていってしまうということが起きます。そこにこそ民族移動ならではの怖さがあるのだと思います。今の難民問題で、受け入れる国の人々が恐れているのも、まさにこのことではないでしょうか。現在ヨーロッパで問題となっている難民はほとんどがイスラム教徒です。戦争で国を追われた彼らには安全に住める場所が必要ですが、このまま難民の数が増え続ければ、受け入れた国の社会は、やはり大きく変わらざるを得ないでしょう。

結局は、どちらかの価値観に合わせるということは不可能で、価値観がぶつかり合う中で、新しい価値観、新しい世界秩序というものが形成されていくのではないかと思います。

 私は移民に反対で、世界の中で1か国くらい日本のような国があっていいと思っています。あった方が良いと思っています。日本の科学技術ではなく、日本の思想や文化が世界で重宝される時がいつか来る。そう思っています。何年か何十年か何百年先かわかりません。根拠もありません。もちろん文化に優劣はありませんが、世界史を学んできて何となくそう思っただけです。

先日、とある飲み屋で近くにいた人とローマの話になりました。その人はローマ史に関心があるらしく、私が専門家だとわかると、「ローマ帝国はどうして偉大になったのでしょう?」と質問されました。

 とある飲み屋に行って、著者とローマ帝国についての話をしてみたいものですね。黒いクレジットカードでお金を払うお高い所でしょう。最近、著者は石原裕次郎の本も出しているみたいです。さすがに私は買いません。この本や馬の世界史の本はさらっと読めると思います。おすすめです。最後に著者にしては珍しく?広島のことに触れていますので、それを結びとします。

広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。歴史に学ぶとはどういうことなのか、その答えがこの言葉だと思います。

この碑文の「過ち」は誰の過ちかという論争がありますが…歴史に学べていないのは誰ですかね?

裕次郎

裕次郎

 

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