ねじまき士クロニクル

とある整備士のつぶやき

インディアスの破壊についての簡潔な報告

彼らにとって、キリスト教徒という名前ほど、忌まわしいものはほかにはないほどであります。この土地ではどこでも、インディオキリスト教徒のことを彼らの言葉でヤレスと呼んでいますが、それは悪魔という意味であります。

 開かれた一神教であるキリスト教は、まず他の宗教の否定をすることが大切です。それは信仰の基に関わる問題です。キリスト教徒にとって神というものはキリスト教の神様、一神教の神様しかありえません。今ではあからさまにこれを言うキリスト教徒は少ないかもしれませんが、昔は多神教はすべて野蛮な宗教とキリスト教徒から見なされていました。そして多神教や異教を信仰している人々は知的に劣った人々であると見なされていました。いや、キリスト教徒でなければ人間ですらありませんでした。

 この思想は、キリスト教を信じていない地域に進攻した際に大いに役に立つことになりました。コロンブスが来てから世界の歴史はキリスト教徒によって変えられてしまいました。キリスト教徒によって新大陸が発見された後、土着の人々、元々の文化はキリスト教徒によって破壊されましたが、その中で1人、キリスト教徒による新大陸支配に疑問を抱いたキリスト教徒がいました。

 バルトロメ・デ・ラス・カサス(1484~1566)はスペインによる新大陸の支配の正当性を否定し、キリスト教徒の蛮行を告発したキリスト教の聖職者です。元々はまだキリスト教徒に目覚めていない、哀れなインディアンを神の光に導くために新大陸に行ったのに、そこで見たものは40年にもわたるキリスト教徒によるインディアンへの虐殺でした。そこで見た光景をスペイン本国に訴えるために『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を書きました。エスパニョーラ、キューバベネズエラニカラグアグアテマラ中南米の島々や地域に対してキリスト教徒が何をしたか淡々と綴られています。

 そこは豊富な食べ物があり、インディアンたちは平和に暮らしていた。

 インディアンたちはスペイン人に食料や金、銀、財宝を分けてくれていた。

 そんなインディアンをスペイン人は裏切り虐殺していった。

 これではインディアンがキリストの教えに目覚めるはずがない。

 という報告が延々と続きます。そこに書いてある内容は、隣人に愛を説くキリスト教徒が行っているものとは思えない悪魔の所業の数々でした

われわれが確信し、正真正銘の事実だと判断しているところでは、この四○年間に、男女、子ども合わせて一二○○万を超える人たちがキリスト教徒の行なった暴虐的かつ極悪無惨な所業の犠牲となって残虐非道にも生命を奪われたのである。

キリスト教徒はそのような人びとを獣よりも劣るとみなし、粗末に扱ってきたし(もし彼らがその人たちを獣なみに大事に扱っていてくれたら、まだましであったであろう)、それどころか、彼らを広場に落ちている糞か、それ以下のものとしか考えなかったのである。

キリスト教徒の隊長のひとり〔フランシスコ・ロルダーンか、その部下〕はエスパニョーラ島で最大の権勢を誇った王に対して、その妻を強姦するという、きわめて無謀かつ厚顔無恥な振る舞いに及んだ。その時以来、インディオキリスト教徒を彼らの土地から追放しようといろいろと策を練りはじめた。彼らは武器を手に起ち上がったが、武器とは言え、まったく粗末なもので、攻撃するにも迎え撃つにもほとんど役に立たず、と言って、身を守るのに役立つかと言えば、それすらも叶わないといった代物であった。したがって、インディオの行なう戦争は例外なく、ここ〔カスティーリャレオン王国〕で行なわれている竹槍の模擬合戦か、さらに言えば、子どもたちの模擬合戦とさほど変わりがなかった。キリスト教徒は馬に跨り、剣と槍を構え、インディオを相手に前代未聞の殺戮や残虐な振る舞いに耽りはじめた。彼らは村々へ闖入し、子どもや老人だけでなく、身重の女性や産後間もない女性までも、見つけ次第、その腹を引き裂き、身体をずたずたに斬りきざんだ。それはまるで囲い場に閉じ込められた小羊の群れに襲いかかるのと変わらなかった。

キリスト教徒はインディオの身体を一刀両断にしたり、一太刀で首を斬りおとしたり、内臓を破裂させたりしてその腕を競いあい、それを賭け事にして楽しんだ。母親から乳飲み子を奪い取り、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたキリスト教徒たちもいた。また、大笑いしながらふざけて、乳飲み子を仰向けに川へ投げおとし、乳飲み子が川に落ちると、「畜生、まだばたばたしてやがる」と叫んだ者たちもいれば、嬰児を母親もろとも剣で突き刺したキリスト教徒たちもいた。彼らは目の前にいたインディオ全員に、そのようなひどい仕打ちを加えたのである。さらに、足がようやく地面につくぐらいの高さの大きな絞首台を組み立て、こともあろうに、我らが救世主と一二名の使徒を称え崇めるためだと言って、インディオを一三人ずつ一組にして、絞首台に吊り下げ、足元に薪を置き、それに火をつけ、彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいた(版画1)。そのほかにも、インディオの身体を乾いた藁で縛り、その藁に火をつけ、彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいれば、インディオを生け捕りにしようとした者たちもいた。彼らは生け捕りにしたインディオたちの両手を斬りつけ、両手が辛うじて〔皮一枚で〕腕に繫がっている状態にしておいて、「手紙をもっていけ」と命じた。つまり、山へ逃げ込んで身を隠したインディオのところへ見せしめとしてことの次第を知らせに行かせたのである。

猟犬はまるで豚を食にするときよりもずっと嬉しそうに、インディオに襲いかかり、食い殺したのである。

じつに稀有なことだが、インディオが正当な理由と神の正義にもとづいて、時にキリスト教徒を数名、手にかけることがあった。すると、キリスト教徒はそれを口実に、インディオキリスト教徒の生命をひとつ奪うごとに、その仕返しに一〇〇人のインディオを殺すべしという掟を定めたのである。

修道士はアトゥエイに、「もし私の話を信じるなら、栄光に満ちれ、永遠の安らぎが得られる天国へ召されるが、信じなければ、地獄に落ち、未来永劫に罰を受け、苦しむことになる」と語った。カシーケはしばらく考えてから、「キリスト教徒も天国へ行くのですか」と尋ねた。聖職者は頷いて答えた。「ええ、善良なキリスト教徒であれば」と。すると、アトゥエイは言下に言いはなった。「天国などには行きたくない。いっそのこと地獄へ落ちたい。キリスト教徒がいるようなところへ行きたくもないし、二度とあんな残酷な連中の顔を見たくもない」と。実際のところ、インディアスへ渡ったキリスト教徒の所業によって、神とわれらの信仰が手に入れた名声と名誉とは、以上のようなものであった。

 カシーケは首長という意味で、アトウェイは首長の個人名です。 

重い荷物を担がされたため、疲労困憊して跛行したり、空腹とその苛酷な労働、それに、生来のひ弱さのために病気に罹ったりするインディオもいた。

インディオは馬に対抗するため、ある罠を考えついた。つまり、彼らは道の中央に穴を掘り、穴に落ちた馬の腹部に突き刺さるよう、その先端を尖らせ、火に炙って固くした棒杭を穴の底に立て、さらに、穴の上には小枝や草をかぶせて、何もないように見せかけたのである。しかし、馬が罠にかかって穴に落ちたのはわずか一度か二度だけであった。スペイン人が防御策を心得たからである。それどころか、スペイン人はその仕返しにある掟を定め、捕えたインディオを全員、老若男女に関係なく、穴の中へ投げ込むことにした。そうして、スペイン人は身重の女性や産後間もない女性、それに、子どもや老人、そのほか、生け捕りにしたインディオを手当たり次第に穴の中へ投げ込み、穴はしまいには串刺しになったインディオでれた。

 そして、その島々では、牝馬一頭が理性を具えた人間であるインディオ八〇名と交換されるという事態が発生した。

 新大陸の野生の馬は一万年ほど前に絶滅していました。新大陸に渡った直後の時期は現地調達できないのでとても貴重な存在でした。征服者側の記録でも戦闘の度に馬の状況について逐一記録しています。

ある邪悪なキリスト教徒はひとりの娘を犯そうと思い、彼女を無理やり連れ去ろうとしたが、母親が娘の手を放さなかった。すると、彼は短剣か長剣を抜いて母親に襲いかかり、彼女の手を切りおとした。しかし、娘がいいなりになろうとしなかったので、彼は娘を剣でめった突きにして殺してしまった。

その結果、インディオは飢えと渇きに苦しんで死に絶え、スペイン人は仕方なく死体を海へ投棄したのである。実際、彼らの仲間のひとりが私に語った話によれば、そのようにしてスペイン人が甚大な害を与えたルカーヨ諸島〔バハマ諸島〕から六○ないしは七○レグア離れたエスパニョーラ島まで、羅針盤や海図もなしに、海中に投げ捨てられて波間に漂っているインディオの死体だけを頼りに航海した船があったらしい。

この無法者がいつも用いた手口は以下のとおりである。彼はどこかの村や地方を攻撃しに行く時、同士討ちをさせるために、すでに降伏してスペイン人に従っていたインディオをできるだけ大勢、連行した。そして、彼は連行したおよそ一万人か二万人のインディオには食事など与えず、その代わり、彼ら自身が捕えた敵側のインディオを食するのを許した。そういうわけで、その無法者の陣営には、人肉解体処理場のようなものがあり、そこでは、彼の立ち会いのもと、子どもは殺されて焼かれ、また、大人は殺されて、手足を切断された。人体のなかで、手足がもっとも美味だと考えられていたからである。別の地域に住むインディオはみな、人間業とは思えないその非道な行為を耳にして、あまりの恐ろしさに、どこに身を隠せばいいのか分からなくなった。

 記述が間違っているのではないかと思うほどの数のインディアンが虐殺されています。もちろん、インディアン擁護のために書いてあるので多少の誇張はあるかもしれません。それでも、大筋ではこれが現実です。征服した側のスペイン人の記録にも虐殺をしていた様子が残されています。

 ラス・カサスが自国であるスペインの蛮行を改善するための報告をしたために、この本は他のヨーロッパ諸国からスペインの蛮行を非難する格好の資料になりました。スペインでは自国の負の歴史を隠すために200年の間、禁書にされました。

 キリスト教を誤って解釈した一部のスペイン人の蛮行とは思えません。スペインを非難していた諸外国はスペインの代わりに植民地を獲得し同様に富を得ることとなりました。その後、中南米に満足な植民地を確保できなかったイギリス、フランスなどはアフリカとアジアに触手を伸ばすこととなります。何世紀にも及ぶこの植民地化の影響は現代まで色濃く残っています。恐らく、人類が絶滅するまでこの影響は消えることはないでしょう。日本ではイスラム教がとても野蛮な宗教の様にされていますが、日本で一番勘違いされている宗教は間違いなくキリスト教です。世界史の教科書では何行かで済まされている歴史がここにはあります。

 ラス・カサスはこの『報告』の中でキリスト教徒を『人類最大の敵』と表現しています。インディアンの保護の功績によって、もしかしたら聖人になっているかもと調べましたが、ラス・カサスは聖人にはなっていないようです。インディアンの保護に尽力しながら、キリスト教徒でありながらキリスト教に対して異議を申し立てたせいかもしれません。

 ラスカサスによる簡潔ではない報告もありますが、そちらはなかなか読むのが大変そうです…全く関係ないですが、ラス・カサスについて考えていたらsengoku38という言葉がずっと頭から離れませんでした。なぜかはわかりません。

 


インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

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インカ帝国遠征記 (中公文庫BIBLIO)

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