ねじまき士クロニクル

いちごの味に似ている

医学の勝利が国家を滅ぼす?

100歳の人を101歳にするために、国が3500万円を支払う。人類史上、こんな贅沢があったでしょうか。

 現在、一人暮らししている90を越えた祖母がいます。足が腕が体が痛い気がするといって定期的に病院に行って大量に薬をもらってきます。

 原爆を乗り越え、21世紀を迎えて、90を越え、夫を亡くし、妹も亡くし、カープの優勝を見届け、思い残すことはなさそうなのに、死ぬわけでもない痛みで気軽に病院に行く…『死ぬわけじゃないんじゃけん行くのやめんさい』と言ったら怒られたことがあります。『今さらがんになっても先に寿命が来るけん大丈夫よ』などと言ったこともあります。確かに私がしたことは、おばあちゃんへの冒涜だったかもしれません。カープが今度こそ日本一になったら思い残すことはないのかもしれません。もしくは永遠に生き続けたいと思っている?

 ただ、祖母はすこぶる健康です。90を越えた今でもカラオケに行ったり、スタジアムでカープを応援したりしています。普段はお茶目なおばあちゃんですが、それでも定期的な病院通いは欠かせません。

 元々は助産師でありながら…痛いところがあればたちまち病院です。晴れの日も風の日も休まず病院です。雨の日は病院に行くのが億劫なのか、虫眼鏡片手に自宅で中国新聞を隅から隅まで見ています…私の祖母が怒った原因はどこにあったのか?それはもちろん私が病院に行くことを反対したからです。この国で老人に対して物申すのはタブーです。いつだって忘れてはいけません。

 私の祖母のささやかな通院は全体にとってはささやかな負担です。それでも私の祖母が病院に行こうが行くまいが、日本の健康保険制度はどこかで何かを変えないと高齢化によって膨張した費用により崩壊します。もしかしたらもうしているかもしれません。

 『医学の勝利が国家を滅ぼす』の著者(医師)の医療費削減のための方法は『75歳以上の延命治療の禁止』です。これが公平で人道的で現実的な解決策ということです。あまりにも過激な方法と著者も認めています。ただこんな過激な提案をしないと誰も聞く耳を持たないのかもしれません。膨張する医療費に対して真摯に警告を発する人たちは『真実の預言を伝えても信じてもらえない』現代のカッサンドラなのかもしれません。著者は日本人にとって次から次へ聞きたくもない現実を突きつけてきます。

皮肉なことにアメリカでは、医者は「高い薬に手が出せないまま死んでしまう」患者や、医療費のため破産に追い込まれる患者の家庭を目の当たりにし、そして年をおうごとにそれがどんどん増えているのを実感しているから、まだ問題意識が出てくる。日本の医者は、国民皆保険と高額療養費制度にあぐらをかいて、コスト意識がさらに低い。究極の親方日の丸である。

日本では国民皆保険に加えて高額療養費制度(収入や年齢によって定められる一定の自己負担限度額を超えた部分の医療費が払い戻される仕組み)まである。これによると、オプジーボを使っても、自己負担分は最高(収入の高い人:月額83万以上)でも最初の3ヶ月が30万弱、それ以降は月額14万100円までで、年では200万円ちょっと、全体のコストの5%内外で済む。普通の収入の人(月額28~50万円)だとこれより遥かに安く、70万くらいであって、オプジーボの年間コストの2%くらいにしかならない。高齢者だとさらに安くなる。さらに、言いにくいことではあるが、生活保護になってしまえば医療費はタダである。

 オプジーボは小野薬品が発明した患者一人当たり年間3500万円かかっていたがんの薬です(2017年2月より半額)製薬会社を責めることはできません、薬価をそう単純に下げることももちろんできません。薬の開発にはお金がかかります。同じ重さの『金』と比較して何千倍も高額な薬もあるということです。一つの新薬開発には平均して3000億円ほどかかるそうです。製薬会社は開発費と利益を出さないと次の薬を作ることができません。日本は世界でも数少ない『薬』を作れる国です(他はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス)薬が作れる国として、新たに薬を作るという世界に対しての責任もあるかもしれません。そしてこれはもちろん薬だけの話ではなく、日本人全体の医療の話です。

アメリカでは個人負担が大きいので、金で命を買うのかという、倫理的な問題が生じる。日本はなんとかして公的保険がカバーする。その分、国家財政に負担がかかる。繰り返すが、患者は長生きして飲み続けるので、コストも長期に亘ってかかるのである。しかし、制度改革でこのような薬剤を公的負担から外すのは、困難ではなくて不可能であろう。患者に死ねと言うのとほとんど同じことだからである

高額療養費制度は、1973年10月に導入されたそうだが、どう考えても、そもそものコンセプトは大怪我とか一生一度の大手術とかいう、本当にその時に生きるか死ぬかの瀬戸際にある人が「金がないから死んで行く」ということがないように、ということでできたものであろう。当時は一月何百万もかかり、しかもずっとそれを続けなければいけない薬、なんて、存在はもちろん、想像もされなかったのではないか。それを、「一生一度」級の医療コストが延々と続き、しかもずっと負担しなければならないなんて、制度設計上は「想定外」のはずである。

後期高齢者にどこまで医療資源を使うか

 すべての生物の中で(先進国の)人間だけが、医療の力を使って自分の肉体の限界を超えて生きることができてしまっています。著者も言っていますが、どこかで誰かが覚悟を決めて線を引く段階に来ています。これまでの無策と先延ばしの結果、医療費が膨張しています。医学の進歩に人間の意識の方が追い付いていません。

 公共の場では誰もはっきりと話をしません。後期高齢者の医療費をがっつり削減するということは、死について議論するということです。政治家も進んで死神にはなりたくないのでしょう。そしてもちろん高齢者の敵になれば選挙で当選できません。

 そして、言うまでもなく日本の財政を圧迫しているのも医療費です。年間40兆円です。高齢化と医学の進歩に伴い、何もしなければ費用が減ることはないでしょう。

 ちなみにトヨタの純利益は1.5兆円です。カイゼンカイゼンを重ねて年間1.5兆円です。他企業との競争と技術の進歩に伴い、何もしなければ利益が増えることはないでしょう。

 『健康保険』という仕組みなので仕方ないのかもしれませんが、日本では多く病院に行く高齢者ほど自己負担の割合が安く、まったく病院に行かない人ほど無駄なお金を払わされる制度となっています。

 私が仕事を辞めた時、健康保険で役所から30万弱ほど払えと言われた記憶があります。働き始めてから一度も病院に行っておらず、無職になったばっかりの身分の者に30万弱ほど請求してくるのはまともではないと思い、再度確認したら間違っていないそうでした。間違っていたのは私の方でした。国を疑うというのは国民としてやってはいけない行為でしたね。最終的に住民税やら年金やらと合わせて退職した直後になぜか50万ぐらい貯金がなくなった気がします。

 個人的な独り言ですが、病気で死ねるというのは事故で死ぬことに比べてよっぽど幸せなことだと思います。私も過去に病気で死んだことがありますが、その時はきちんと家族に別れを告げる時間がありました。この世界に存在していたらまずいものをすべて処理して最期を迎えることができました。

 事故で死んだこともあります。『行ってきます』と言って家を出たのに『ただいま』を言えなかったのは辛かったですね。周りの人への影響も大きかったです。パソコンの中の怪しいファイルを消去する暇もありませんでした。死ぬなら病気で死ぬに限りますね。

 というのは冗談ですが、とりあえず私もいざというときのために銀行口座やクレジットカードやへそくりの場所を家族に託してあります。日本人全体として死について考えるときが来ています。もしかしたらやっぱり手遅れかもしれないんですけどね。

 少しだけ、日本の未来に関して考えてみます。広島県の沿岸部に都市としては全国でぶっちぎりの高齢化率を誇る街があります。日本の平均の人口構成の10年先を行っているような街です。日本の10年先を占うような、その街の少子化対策や高齢化対策は…無策です。製造業は構造的な不況、若者は大都市へ流出、安定した就職先は公務員と医療職とインフラ、規模に似合わない市役所の建て替え、駅前の空洞化、勇気をもって市議会に立候補した若者(介護職?)は落選。そして栄えているのは病院だけです。あの街が日本の未来の縮図なら、日本の未来は真っ暗です。

突き詰めると、我々は、「人間は、いつまで生きる(生かされる)権利があるのか」、「人間は、いつまで生きる(生かされる)義務があるのか」という問題に直面しているのである。そしてこの難問を我々に突きつけたのは、人類の進歩による「医学の勝利」に他ならない。だから、我々に逃げ道はない。覚悟を決める時である。

 私は、ある一定以上の年齢から安楽死を認めるということが一つの解決策になるのではないかと思います。

 関係ないかもしれませんが、日本の株式市場では『製薬会社』の株の配当はなかなかおいしいです。株の初心者の方にはなかなかおすすめです。医療関係者ではなくてもお金を出すことによって会社を応援することができます。ただ薬会社からの高額な製配当の出どころは…?と思って調べたら株価が上がっているためか以前ほど利回りは良くないですね。私は競馬がお勧めです。

 

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