ねじまき士クロニクル

日向の窓にあこがれて

エイズ治療薬を発見した日本人

 途上国の寿命を著しく縮めているイメージがある病気のエイズ。その一方、日本は先進国の中で唯一エイズ患者が増加している国と言われています。今では病気の感染経路も分かり以前ほど恐怖の病気ではなくなってきています。私の場合ですが、エイズは感染源がわかっているので、幸か不幸か、今までもそしてこれからもおそらく一生エイズにかかことはないでしょう。

 まだ治療薬がなかった時代、感染して発症した患者は二年以内に90%が亡くなっていました。そのエイズも今では感染経路も分かり、治療薬もあり、不治の病ではなく治せる病気になってきています。そして、その治療薬はまだエイズの感染経路も分からなかった時期に『満屋裕明』という日本人の医師によって発見されたものでした。

 本の中で、黄熱病によりガーナで亡くなった野口英世と比較されていましたが、黄熱病もエイズも当時の日本人にとってはそれほど身近ではなかった病気です。それなのに感染の危険を冒して病気に立ち向いました。繰り返しますが、感染源がわかる前、治療薬ができる前のエイズというのは恐怖の病気でした。満屋先生が熊本からアメリカに移ったのは1982年。当時のアメリカの製薬会社もエイズに感染することを恐れて研究開発をためらっていました。

 もちろん満屋先生もエイズの研究をすることにためらいがありましたが、奥さんからの

「誰かがやらないといけないから、しようがないでしょう。医者なんだから」

という言葉を受けて、自分の意志を確認。覚悟を決めて研究に没頭します。自分が感染するかもしれないリスクを冒して研究した結果、エイズに効く薬を発見することに成功。多くのエイズ患者を救うこととなりました。めでたしめでたし。

 

 という話にはなりませんでした。一つ目の治療薬を発見するも、特許を取るという発想がなかったため製薬会社が特許をとることになりました。その結果、製薬会社は高額の値段をつけて巨額の利益を得ることになりました。治験の時には無料で提供されていた薬が、認可され価格が設定されてエイズ患者は毎年1万ドルが必要になりました。原価は500ドルほどだったのに、その20倍ほどの値段を設定しました。エイズ患者にとっての治療薬の価格はそのまま命の値段でした。特に公的な保険制度が貧弱なアメリカでは、払えるか払えないかが、生きるか死ぬかの問題でした。

 特許を巡る裁判に巻き込まれながらも研究を重ねて二つ目、三つ目のエイズ治療薬を発見。二つ目の薬は一年間の金額を1745ドルに設定。もちろん特許も取得。これにより治療薬の価格を引き下げることに成功。数多くの患者を救うことに成功しました。めでたしめでたし。それからも研究を続けて新約を世に出しているということです。

 

ここからは個人的なつぶやきです。毎年ノーベル賞の時期になるとTVでは村上春樹のことばっかり報道しています。この本を読む限り、特許や賞にはまったく執着がなさそうですが…分野は違えども、このような人にこそノーベル賞を取って欲しいと思います。そして、日本全体でのエイズ対策を、私の様にきっちりしてほしいです。

 作中では、子供の頃に母親と『長生きの薬』を見つけることを約束した。とありますが、その肝心のエピソードは全くありません。気になります。

 『病人がいたら大型バイクで血を抜き取りに行っていた』とあるので、まだ大型免許が教習所で取れない時代に一発で限定解除した筋金入りのライダーです。今でもバイクに乗っているのでしょうか?それとも…?整備士として少しだけ気になります。

 最後に満屋先生の言葉です。

「科学者の生きがいというのは本当にけちなもの。誰が何をしたか、それだけで生きている。評価されることに大きな悦びを感じる」

 

 

エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明 (文春文庫)

エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明 (文春文庫)