ねじまき士クロニクル

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チョコレートの世界史

 日本において誰がバレンタインデーというものを流行らせたのか?それはウィキペディアによると色々あるみたいですが、チョコレート業界の陰謀らしいです。そもそもは西暦269年の2月14日に迫害で殉教した聖職者のヴァレンタインにちなんで、中世を経て始まったようです。日本人はキリスト教徒でもないのに、楽しそうな?お金になりそうなイベントならすぐに取り入れてしまいます。

 もちろん私もそのうちの一人でした。学生時代、2月13日には机の中をきれいに片付けたり、2月14日は無駄に早く学校に行ったり、無駄に遅くまで学校に残っていた記憶があります。もちろん、それらの努力が報われることはありませんでした。世の中には努力ではどうしようもないこともあります。ブラックチョコレートよりも苦い青春です。人からもらうチョコレートは自分で買ったものよりも甘いんでしょうか?私にはわかりません。

 ただその甘いチョコレートにも砂糖の普及と同じように三角貿易産業革命が深く関わっています。

 人々がチョコレートを今のように食べられるようになったのは今から100年ほど前でしかありません。チョコレートは人類にとって、最近食べられるようになった食品と言ってもいいかもしれません。それは一体なぜなのか?チョコレートはカカオ豆からの加工が必要な商品です。チョコレートの原料のカカオ豆は甘くありません。元々は苦くて渋いポリフェノールの味です。またコーヒー豆と違い、重量の半分ほどが油脂なのでそれを加工し、砂糖やミルクや他の原料を加えてチョコレートを作ります。また、溶けやすく取り扱いに注意が必要な商品です。そのためにチョコレートが世に普及するためには技術の発展や輸送網の確保などの社会基盤が発展している必要がありました。熱帯地帯で栽培されたカカオがヨーロッパに渡り、加工されてチョコレートになりました。その中でチョコレートの普及に最も貢献したのは産業革命を経て工業が発展していたイギリスでした。他のヨーロッパの国々、ベルギーやフランスではチョコレートの大量生産よりも職人の手作りのような方法でチョコレートが作られていたようです。

 カカオは中米原産のため『コロンブスの交換』が成立するまでヨーロッパはカカオのことは知りませんでした。そして、その中南米でもカカオは貴重品でした。アステカ人たちの間でカカオは宗教、経済、食品として用いられていました。

 宗教や通過儀礼の際にカカオは神々に供え物として捧げられていたそうです。また結婚式の引き出物にカカオ、死者の旅立ちにカカオが使用されていたそうです。

 経済面では金や銀と同様にカカオも貨幣として使われていました。もちろん良く乾燥させたものが使用されていました。トマト一個とカカオ一粒。鶏の卵はカカオ二粒、野兎はカカオ100粒で取引されていました。

 もちろん貨幣として使用されていたくらいなので、カカオを食品として口にできたのはアステカの中でも一部の人々だけでした。ただ、その時の飲料は苦く、滋養強壮のために高価なものを口にするということを期待していたということです。アステカを征服したコステロもスペイン王カルロス一世宛に、カカオのこれらの用途について書簡で知らせています。この苦かったカカオに砂糖を混ぜたのはスペイン人であり、ここからカカオとチョコレートの世界商品化が進むことになります。

 カカオは砂糖や紅茶と同様に世界を変えてしまった商品といるかもしれません。ココアが普及した時期は砂糖や紅茶がヨーロッパで普及した時期と重なります。これらの商品はやはりヨーロッパで栽培できないという共通点がありました。カカオの生育に適しているのは、高温多湿地帯で、平均気温が摂氏27度以上、年間降水量が2000ミリ以上の地域です。これらの条件を満たす場所はヨーロッパにはありません。中南米、西アフリカ、東南アジアなどの地域がカカオの栽培に適しています。著者は三角貿易における砂糖とカカオの類似点を指摘し、砂糖とカカオは双子のようなものと述べています。砂糖の強制労働と同様に、アフリカからブラジルに移送された黒人奴隷の数は16世紀から19世紀にかけて350万から500万人程にもなります。

 日本では特にガーナがカカオ豆の産地として知られています。ロッテの板チョコのおかげで、日本人でガーナという国を知らない人はいないと思います。ただ場所はアフリカのどこかでなんとなくわからない。もしかしたらこれが、アフリカに縁の薄い日本人の一般認識かもしれません。ただ、そのガーナでカカオの栽培が開始されたのは1879年です。それからすぐにカカオ豆の一大生産地に成長しています。1879年というのは、固形のチョコレートが開発されて普及が始まった時期、ヨーロッパで奴隷貿易廃止の動きが出ていた時期と重なります。固形のチョコは1847年、イギリスの三角貿易で栄えていたブリストルという街で作られました。奴隷制1830年以降イギリスを先頭にして廃止の動きが出ていました。その結果、今まで、西アフリカ諸国から黒人奴隷を連れて行って中南米で栽培していたのを、逆にカカオを輸入させて西アフリカで栽培させたということになるでしょうか?ここら辺のチョコレートにまつわる西アフリカの農業事情、工業事情についてはまたいつか個人的に調べたいと思います。

 

本書の後半のほとんどはキットカットを開発したロウントリー社の話です。日本にキットカットが登場したのは1973年。不二家がロウントリー・マッキントッシュ社と提携して売り出したのが始まりだそうです。ただキットカットを売り出したロウンカントリー社は1988年にネスレに買収されたそうです。今はもうネスレキットカットです。それでも、キットカットには他のチョコにはない長い歴史があります。

 ただの固形のチョコレートから、キットカットが開発されるまでに、やはり技術の進歩が必要でした。ウエハースを薄く均等に焼き上げることが当時の技術ではまだ難しかったからです。1920年代にキットカットの構想が始まって、完成して販売されたのは1935年です。また、キットカット開発時の社長、ベンジャミン・シーボーム・ロウントリーは社会福祉にも興味を持ち、ロウントリー社で行われた福祉政策はイギリスの福祉制度にも影響を与えたそうです。商品の広告も当時としては斬新でロウントリー社は、自動車やTVなど常に時代の最先端の物を広告媒体に使い会社の製品を普及させていったそうです。著者の専門は元々、社会学のようで、貧困対策などを行ったロウントリー社の資料を見たことがきっかけとなりこの本を書くことになったようです。実際、半分くらいはキットカットの話です。

 とりあえずこの本を読んだ後には、キットカットが食べたくなります。西アフリカのチョコレート事情はまた今度調べることにします。意外にもガーナではなくガーナの隣のコートジボワールがカカオの生産量世界一です。

チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 (中公新書)

チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 (中公新書)