ねじまき士クロニクル

日向の窓にあこがれて

馬の世界史

 整備士というのは基本的に工場勤務とサービス業の悪い所を兼ね備えた職業です。

仕事終わりにコンビニに行ってお釣りをもらう際に、自分の右手を見てみたら、落ちないオイルの汚れがある、慌てて左手で受け取ろうとするけどやっぱり左手も汚い。そして少し悲しくなります。その手では私は仕事終りに料理を作ろうという気にはあまりなりません。つまりそれはサンドイッチが作れないということを意味します。

 そしてディーラーなどに勤務すると、神様であるお客様に合わせるために土日休みは基本的にはありません。私も日曜日に休んだことがありません。つまりそれは競馬(中央)を見に行けないことを意味します。サンドイッチは誰かが作ったものを食べればいいとして、競馬は実際に生で見たいものです。勝たなくても賭けなくてもいいので、競馬を見に行きたいというのが今のささやかな願いです。整備士はお金ももらえない職業なのでできれば勝ちたいですが…

 『馬の世界史』は馬好きの著者が自分自身の満足のために書いた本です。

 世界中に約4000種類もの哺乳類がいたのに、人類が家畜として飼いならしたのはたったの10種類あまり。シマウマは家畜として飼いならしていないのに、馬は飼いならすことができている。コロンブスが来た時、アメリカ大陸はまだ紀元前の古代ほど文明しかなかった。遊牧民族が世界史が果たした役割は大きいはずなのに、歴史の片隅に追いやられていないか。それらはなぜなのか?その答えを自分自身のために著者が書いています。そして馬好きの西洋史の研究者として、馬がこれまで歴史の中で果たしてきた役割に関してあまりにも軽く見られているのではないかと憤っています。

今日、馬が軍事力や輸送力の主力をなす社会など、ほとんどない。馬の動力に代わって機械力が、どこでもありふれたものになっている。われわれはもはや、馬が社会のなかで担っていた役割の重大さについて、想像することすらできない。馬とめぐりあったおかげで、おそらく人間の文明は、数百年、あるいは数千年も、速く進展しただろう。それが人間にとって幸運だったのか不運だったのかは、わからない。しかし、そのような事実は、意外に軽んじられており、ほとんどかえりみられることはない。これほど関わってきた動物なのに、そのことを確認する努力はきわめて少ない。

 確かに、今はもう馬が移動や動力の中心になっている社会はありません。20世紀、21世紀を経て、馬は二輪車に、馬車は車になりました。内燃機関の発達が、馬の重荷を解放したといっていいでしょう。19世末のロンドンが舞台の『シャーロック・ホームズ』も、物語の中で事件が起こると馬車でワトソンと二人で仲良く出かけています。数ある作品のうちののいくつかは『馬』を手掛かりにホームズは事件を解決しています。一例ですが記念すべき一作目の『緋色の研究』では馬の蹄鉄から犯行に使われた馬車を割り出しています。競走馬を題材にした話もあります。ただ、作中で乗り物の主役だった馬車も物語の舞台が20世紀初頭のロンドンになると内燃機関にとってかわられています。

 しかし、動力が馬から内燃機関に取って代わると、歴史の中での馬が過小評価されてしまうことになりました。

 そもそも馬がいなければ『速度』という概念を人間は持つことができなかったのではないか?馬がいなければ21世紀でさえ未だに古代のような世界だったのではないか?速度という概念が人類に浸透したから世界史の進む速度も早くなったのではないか?と著者は述べています。これは個人に置き換えると、初めて自転車やバイク、車を運転したときの気持ちに似ているかもしれません。自分の肉体が出せる速度以上の物を手に入れて、自分の『世界』が広がった時の気持ちに。私も自分が初めてバイクに乗った時の気持ちを未だに覚えています。一か月も経たずに事故って大金を払って直して、半年後には盗難にあったのは今では笑い話です。バイクを盗んだ奴を許すことはありませんが。

 そして、コロンブスが来た時のアメリカ大陸とユーラシア大陸の文化の発展の差、『速度』の差を馬の存在に求めています。馬がいた世界では古代から馬の速度を前提にして世界が回っていました。

とりわけペルシア帝国にあっては、道路建設によって通信網が整備され、情報の伝達に長足の進歩がもたらされた。なかでも「王の道」と呼ばれる国道が築かれ、駅伝制が設けられたことは、特筆される。イオニア地方のサルディスから、都の一つスーサまで「王の道」を駅伝制でたどるとすると、それまでなら徒歩一一一日かかった行程を、早馬に騎乗すれば七日間で到達することができた。

 ユーラシア大陸とは対称的にアメリカ大陸では馬の速度というものを知らずに、ヨーロッパ人と出会うこととなりました。アメリカ大陸では、はるか昔に食用のために絶滅させてしまっていたからです。 

 世界史を大きく動かした騎馬遊牧民族の歴史にも触れられています。西洋史観では遊牧民は定住する土地を持たず、略奪を行う恐ろしい存在であり、歴史の教科書ではいわゆる主流とは見なされていない存在かもしれません。しかし、それも騎馬遊牧民族の過小評価です。歴史の中で大きな役割を果たしていた騎馬遊牧民族の多くは土地を転々とする生活様式だったので記録を残すことが多くありませんでした。文字を持たない騎馬遊牧民族もありました。記録の多くは中国や西洋の騎馬遊牧民族に襲撃を受けた側からの記録です。そのせいで世界史の中で及ぼした影響について過小評価を受けています。歴史の中で、唯一アジアから日本に攻め込んだのも騎馬遊牧民族の元でした。もしも、日本海がなかったら日本も支配されていたかもしれません。そう考えたら騎馬遊牧民族はすごいと改めて思いませんか?

 

 また、ギリシア神話の海の神である『ポセイドン』は元々馬の神だったということです。全部で10章あるうちのポセイドンを扱った1章だけが元々の専門分野だそうです。それだけ著者が馬好きということです。ポセイドンに関しては、馬と船は人間の速度以上の物を出せるもの、世界を広げたものとして、馬の神が転じて海の神になったのではないかということです。

ギリシア神話のなかにポセイドンなる神がいることは、どなたもご存知だろう。この神は「海の神」として知られているが、もっと古い時代には「馬の神」であったという。神話のなかに奥深く残る伝承を読み解くと、「馬の神」ポセイドンの姿がとらえられるのである。その痕跡をとどめた逸話や図像も少なからず残存する。なぜ「馬の神」が「海の神」に変身したのか。そこには、地中海世界の社会と文化を理解する重要な鍵がかくされている。

 

馬と草原、船と海原。両者を比べてみると、さまざまな点で共通点をもつことに気づく。なによりも、人も物も情報も速く移動することになり、空間が拡大し、時間が短縮される。こうしたことは人間の営みを大きく変えてしまうのである。

 科学技術の発達により、家畜を動力源として使うことは主流ではなくなりました。馬がいなくても暮らしが成り立つ世界になってしまったのかもしれません。それでも私はいつか整備士を辞めて手作りのサンドイッチを持って、やっぱり競馬場に行きたいと思います。

犬が最良の友であるなら、馬は最良の奴隷であったともいえるだろう。しかも、馬は躍動感にあふれ、美しさを損なうことがなかった。だから、それは人間から敬愛されるもっとも高貴な奴隷である。むしろ、かぎりなく友に近い下僕であるのだ。 

馬の世界史 (中公文庫)

馬の世界史 (中公文庫)