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ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

 私はこの本を読むまで、長崎に原爆ドームのような建物が残っていないのは原爆ですべてが無くなってしまったからだと思っていました。この本の著者もそうでした。

 長崎出身の著者は青春時代を長崎で過ごしたにもかかわらず、原爆が落とされたときに残っていた、浦上天主堂を詳しくは知りませんでした。2000年に見たテレビのドキュメンタリー番組を見て、戦後しばらく残されていた浦上天主堂の廃墟を知りました。そして、その被爆した浦上天主堂を巡って不可解な出来事があったことを知ってしまいました。

 被爆して廃墟になった浦上天主堂を保存する動きが出ていたのに、突如として教会も長崎市長も撤去の方向に舵を取った…著者は撤去の背景に何か不可解なもの、つまりはアメリカの力が働いたのではないかと調べます。

 丹念に調査を重ねて背景を暴いていますが、如何せん撤去(1958年)から半世紀以上も経っています。裏付けに裏付けを重ねますが、状況証拠しか出てきません。それでも、被爆から撤去に至るまでの経緯を考えてみると、限りなく黒に近いグレーという答えを出しています。

 

 キリスト教の国であるアメリカは、キリスト教被爆建物である浦上天主堂を残しておきたくなかった。だから、裏から手を回して浦上天主堂を撤去させた。

 

簡潔に言えば、これが著者の結論になります。後世への影響を考慮してそこにキリスト教の施設があったことを隠そうとした。それでも、長崎への原爆投下はキリスト教の国からの落とし物です。広島に世界で初めて原子爆弾を使用する前には従軍司祭によるミサさえ行われています。

 

私たちは祈ります 戦争の終わりがくることを 私たちは知っています まもなく地球上に平和が訪れることを 出撃する爆撃機の乗組員たちに 神のご加護がありますように そして彼らが無事に任務を終えることができますように 私たちは神を信じて出撃します 神が私たちを永遠に見守り続けてくださいますように キリストの名のもとに

 

 もちろん長崎にはキリスト教徒以外もたくさんいましたが、日本で一番キリスト教信者がいた場所です。日本で一番キリスト教徒が迫害されていた場所でもあります。被爆地である浦上で暮らしていた信者は12000人ほど、その中で死傷者は8500人ほどと言われていますが、正確な数字はわかりません。全体では1945年の末までに7万人を越える方が亡くなっています。

 広島でも被爆した建築物を保存か撤去かという問題は、難しいものでした。今現在は、保存の方針で固まっていますが、当時は廃墟から復興するのに、過去の悲惨な体験を思い出すものを残したくないという思いが市井の人々の間にあったのも確かです。原爆ドームでさえ解体か保存かで揺れ動いていた時期もあります。

 広島の中心部には原爆ドームだけではなく、本通りの中のアンデルセン(改装中)や54号線沿いの日本銀行広島支店などの被爆建物があります。知名度は劣るかもしれませんが少し離れた宇品や出汐にも広島市郷土資料館陸軍被服支廠など比較的大きな建物が残っています。

 ただ間違いなく広島の被爆の象徴として真っ先に挙げられるのは原爆ドームです。原爆ドームという本物の建物を抜きにして今の広島のことを考えることはできません。ただ、広島という街も原爆ドームも、外国に対しての宗教的な色はありません。それだけに長崎の浦上天主堂が残されていたならば、とても大きな意味があったはずです。

 世界にたくさんキリスト教の国がある。そのうちの国の一つが、信仰のない国のキリスト教を信仰していた土地に原子爆弾を使った。浦上天主堂が残されていたならば、宗教とは何か、戦争とは何かについて、広島の原爆ドーム以上にキリスト教の国々の人たちに何かを訴えかけることができたのではないかと思います。

 日本人が考える以上に、広島と長崎は日本の中でというよりは世界の中で大きな意味を持ってしまった街です。そのせいかどうかわかりませんが、とりあえず私は海外で自己紹介するときは「広島出身の日本人」と必ず言っています。特に深い意味はありません。

 著者は最後に長崎の撤去の決断について、完全に間違った選択をしたと述べています。私もそう思います。 

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」