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福島の思い出

 昔々、福島県には一度来たことがあります。

 バイクで北海道からの帰り道、函館から本州までフェリーで戻り、青森を南下して岩手の八幡平、浄土ヶ浜、遠野、名前は忘れましたが飲んだら歯が溶けるという温泉に立ち寄ったりしながら、宮城を経由して福島にたどり着いた記憶があります。相馬の道の駅でテントを張って寝た写真が手元に残っています。原発のことがあってから、あの辺りは今どうなっているだろうかと思うこともありました。

 私がバイクで福島に行ったときは福島はまだ福島で、東北地方全部に言えることですが良いところだなという印象しかなかったです。今回、人生二度目の福島は、時々カタカナで表記されてしまう街になっていました。私は被災地をカタカナ表記することが嫌いです。カタカナ表記にすることで、どうしてもどこか遠い外国の都市のような感じがしてしまいます。ヒロシマでもナガサキでもフクシマでもなく、それは広島であり、長崎であり、福島です。その中の1つは私が生まれ育った街でもあります。

 もう10年近程昔になりますが、福島の思い出です。磐梯山のふもとの道の駅『ばんだい』ではあの『バンダイ』とコラボしてガンダムモビルスーツが置いてあったことを未だに覚えています。あの時はガンダムをよく知らずに特に注目することもありませんでしたが、今は違います。今なら素通りしてしまうことはないでしょう。企業がコラボしていることに深く感謝して記念撮影してしまうことでしょう。アニメを見た結果、私はどちらかと言えばザクが好きになりましたが(ポケットの中の戦争のせいです)、今でもまだガンダムあるでしょうか…

 そして雄国沼。行く途中に道に迷って訳が分からない場所へ行ってしまい、景色のきれいな場所から麓を見下ろした覚えがあります。沼はもちろんきれいでした。

 猪苗代湖の近くにある野口英世の記念館にも行きました。コンクリの建物に覆われていましたが、生家が残っており火傷をしたという囲炉裏もありました。黄熱病の研究をしていた野口英世ですが、まさか自分がその黄熱病のワクチンを打ってアフリカに行く日が来るとは思ってもいませんでした。

 私は血も涙もない人間ですが、野口英世記念館にあった、野口英世の母であるシカの手紙を読んで目から危うくエンジンオイルか何かが出そうになったのを覚えています。日本を遠く離れた息子に向けて、死ぬ前にもう一度会いたいと綴った手紙です。親子の手紙の一部分を引用なんて野暮なことはしたくありません。引用してもおそらく伝わらないと思います。

 わずか1日の滞在でしたが結構、福島のことは鮮明に覚えています。その後、南下して日光、そして旧友を訪ねに三色の旗がはためく街に向かったのでした…

 

 手元に今日の読売新聞があり、未だに避難している人は2万6601人(そのうち県外は1万3844人)とあります。仮にも『先進国』である日本で、6年間も家に帰れない人がいるのは悲しいことだと思います。今日、読んでいた本の中で東電勝俣恒久会長は一度も福島の人に謝罪をすることなく去っていったことを知りました。あくまでも原発事故が起きたのは天災である津波のせいで、被害が拡大したのは当時の民主党の対応のせいだと思っているのでしょう。

 勝俣会長は高校の同窓会で『地震があった時に最も安全なのは原発原発に避難した方が安全』と言っていたそうです。今は中東のドバイにいるそうですが、外国は何かと物騒なこともあるかもしれないですし、建物の地震対策も日本の方が進んでいるはずなので安全な場所に戻ってほしいですね。

 

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故 (講談社文庫)

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 原発に関してはこの本からです。