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三毛別ヒグマ事件と箱根のエース

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 これは私が何年か前に北海道苫前の三毛別ヒグマ事件跡地に行った時のただの思い出です。バイクの免許を取った時から、北海道へバイクで行くと決めていました。バイクの免許を取ったら「北海道行きたいなぁ…」「九州行きたいなぁ…」と言い続けて結局行かない人が多いですが(私調べ)私は絶対に行くと決めていました。

 しかし、いざ北海道へ行くと決めても、目的地は特に決めていませんでした。

 青森からフェリーを使うこと、8月中に宗谷岬に行くこと、そして「三毛別ヒグマ事件」の現場へ行くこと。北海道へ行く際にあらかじめ決めていたのはこの3つだけでした。

 三毛別ヒグマ事件とは1915年に起きた日本史上最悪の獣害です。冬眠に失敗した一頭のヒグマに7人が殺された事件です。バイクに乗る人ならだれでも使うツーリングマップルという地図の北海道版を見た時から必ずここには行こうと決心していました。B級のマイナースポットと言っていいかもしれません。それでも、何かひきつけられるものがありました。

 いざ行ってみると、事件現場付近は真夏の昼間なのに、馬鹿でかいヒグマの模型もあり妙に味悪い空気が漂っていました。この事件は『熊嵐』という小説にもなっていて、この獣害が契機となって、一人、また一人と地域を去っていき結局は無人の地になったそうです。小屋にあった思い出を書き記すノートにも「来るんじゃなかった」「早くここから立ち去りたい」「想像以上に怖い」「本当に熊が出そう」などの言葉が並んでいたのを覚えています。現場は実際にヒグマが出るということです。私はいざというときに備えてバイクのキーは差しっぱなしにして現地を見学していました。始動方法がキックしかないバイクだったのでキーが刺さっていてもいざとなったらすぐには逃げられなかったんですけども。

 箱根駅伝はその選手に出会うまでは特に好きではありませんでした。知識も全くありませんでした。それなのに、子供の頃に名前を憶えていた箱根駅伝の選手が一人だけいました。法政大学の徳本選手。私がまだ純粋な心を持っていたころ、その年(2002年)の箱根最速の男ということで徳本選手の地元の広島県では大きく報道されていました。派手な風貌と今でいうビッグマウスな発言、そんな人がどんな風に走るんだろうかという興味もあり箱根駅伝を見ていました。結果は史上最短、往路2区での故障リタイア。しかし…故障しながらもたすきをつなげようと、監督が駆け寄ってきていたのを必死に制して、避けるように前進していた姿はずっと心に残っていました。とんでもない選手だと子供ながらに思いました。

 私が三毛別ヒグマ事件の現場で出会ったのはその徳本選手ではなく、徳本選手より学年が一つ下のエースです。徳本選手が棄権したことによって、つながらなかったたすきを待っていた翌日の復路のランナーです。

  薄暗い熊が出そうな森の中を独りで物思いにふけっていたら、遠くから2stバイクの音が聞こえてきました。独りの時間を邪魔されて残念な気持ちと、心細かった時間が解消された嬉しさを今でも覚えています。バイクの方が来るのを待っていたら、思っていたよりも小さなバイク。バンバン80という今はもう生産されていない小さな古いバイクでした。挨拶を交わして二人で現場を見て回りました。「悪路をバンバン走るからこのバイクは『バンバン』って言うんやで」「ハーレー乗りだったら声かけんかったわ」関西出身の方らしく気さくに話しかけてくれました。私も「大きなバイクに乗っているよりも小さなバイクに乗って旅している人の方が好きですよ~」と答えていました。一言で言えば馬が合ったのでしょう。

 現場を後にして一緒に地元の郷土資料館に行きました。ここでは実際に生息していたヒグマのはく製も展示してありました。夏休みも最後の最後の日に行ったものだから館内は人がおらず、受付の女性と私たち旅人二人だけでした。この女性に話を聞いてみると、なんと、三毛別ヒグマ事件に出てくる登場人物の縁者の方でした。

 それから、バンバンさんは天売島へ、私は8月中の宗谷岬到着を目指して稚内へ向かいました。その後、主に道東での合流と解散を繰り返し親交を深めていきました。その時にお互いの身の上話になり、バンバンさんが箱根駅伝のランナーだったことを知りました。

 本州に戻ってからも交流は続きました。私が関西で働いているときには一緒に若狭まで走りに行ったり、お互いの家に泊まりあったこともあります。結婚の報告も受けました。箱根のランナーさんが走っている姿をTVで見た奥さんが手紙を送ったのがなれそめということでした。長崎の水族館でペンギンに祝福されなれながら式を挙げている姿をネットの記事で見ることができました。しかし、あるとき私が不覚にも携帯を紛失してしまい、データが飛んでしまいました。バックアップや紙の手帳などを利用する文化は残念ながら当時の私にはありませんでした。地元の人や誰か共通の知人がいるならば時間がかかりますが連絡先を知ることはできます。しかし、わたしと箱根のエースさんはお互いだけの関係です。残念ながらその時から連絡は途絶えてしまいました。それでも、漠然とした気持ちですが、いつかまた会えるような気がしています。

 

 最後にその箱根のエースに対して私が聞いた言葉です。

 「長距離走るのは辛くないんですか?」

 「辛いよ。できることなら走りたくない。練習もしたくない。歩くのは好きやけど」

 一度は故障で引退したと聞きましたが、走るのを辞められないのか地元で競技を続けているみたいです。

写真は北海道苫前町のHPからです。北海道の写真のデータも紛失しています…

 

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