ねじまき士クロニクル

とある整備士のつぶやき

パールハーバーとハワイイの歴史 

2016年も政界では「失言・珍言」が繰り広げられたが、政治家に混じって見逃せないほどの冴えを見せたのはファーストレディ、安倍首相夫人のアッキーこと昭恵氏ではないか。

「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』ことだと思っています」

 医療用や祈祷用の大麻解禁運動に熱心なアッキーは、小池百合子都知事との対談でそんなぶっ飛び発言をしたかと思うと、12月26日から慰霊のために真珠湾を訪問する夫・安倍晋三首相より一足早くこの夏にアリゾナ記念館を訪ね(8月22日)、なんともスピリチュアルなハワイ解放論を語っている。

「あそこは聖地なんですよ。ハワイのあそこを攻撃した日本は悪いかもしれないけど。本土からやってきて、あそこを乗っ取っちゃった人達もいるわけで。そもそものハワイに戻してあげましょうよって感覚になりました。自然の神様がそっちを望んでいるんじゃないかなって」

 ちなみに、アッキーはトランプ次期大統領に面会に行った安倍首相が、「トランプは選挙の時とは人が違うように普通だった」と印象を語ったという“国家秘密”まで暴露してくれた(12月6日の京都での公演)。政治評論家の有馬晴海氏が語る。

自民党議員の暴言や失言が目立つのは、野党がどんどん弱体化しているから。軽率な発言で批判を浴びても当選できるとタカをくくっているのです。ファーストレディも発言には慎重になるべきです。米国の大統領夫人には専門のスタッフがついて発言が管理される。しかし、昭恵夫人にはそうしたスタッフも縛りもなく、自分が考えるままに反原発など安倍政権と反対の主張をしてきた。その結果、時に無防備な発言が飛び出してしまう」

 米国のトランプ次期大統領も暴言・失言で話題だが、あちらには「パフォーマンス」という側面が見え隠れする。対して日本の政治家は“ただ脇が甘く、軽率なだけ”に見える。きっとこの分では、2017年も恥ずかし~い珍言がニュースとして駆け巡ることになりそうだ。ヨソの国の心配をしている場合ではない。

週刊ポスト2017年1月1・6日号

 安倍総理のハワイ訪問に関して調べていたら興味深い記事がありました。と言っても安倍総理の奥さんの話ですが。夫人の大麻に関する話はよく分かりませんし、この発言がスピリチュアルなハワイ開放論かどうかはかどうかは知りませんが、アメリカの本質について語っている言葉だと思います。日本の首相夫人としてこの発言をするのはかなり勇気が必要なことですが…何か考えて発言しているのか、それとも何も考えずに発言しているのか…

 アメリカの歴史は建国以来、経済的にも地理的にも帝国主義の拡張の連続として見ることができます。その象徴がハワイだと私は考えています。どこかの誰かに「世界が平和になるときはどんな時だと思う?」と聞かれたら「アメリカがハワイを手放した時」と答えるでしょう。名もない整備士に誰もそんなことは聞いてきませんが、私は個人的に世界の片隅でそんなことを考えています。

 総理がパールハーバーへ行ったからではなく、各地の植民地について調べるためにKindleでハワイに関する本を探していましたが思ったより扱っている数が少なかったです。書店に行ってもガイドブックばっかりです。それでも、ハワイの歴史に関する本を読んでハワイに関するおさらいをしていました。金と暇とパスポートがあれば誰でもハワイに行けますが、広島空港はとてつもなく不便なところにあり金も時間もかかるので私はハワイに行くことはないでしょう。(オバマ大統領も広島の平和公園訪問時には山口県岩国市の米軍基地から観音の広島西飛行場へ移動しています。広島空港は使われていません)いや、そもそも広島空港からハワイまでの便がない?

 

 と話がずれましたが、パールハーバーとハワイの歴史です。 

パール・ハーバーの軍事化は既に十九世紀末にはじまっていた。一八九三年、ハワイ王朝がクーデターによって倒され、翌年ハワイ在住の白人を中心にハワイ共和国が樹立された。四年後の九八年、共和国はアメリカに併合された。併合の直接の契機となったのは、アメリカとスペインのあいだに起こった米西戦争である。一八九八年に勃発したこの戦争はスペインやアメリカ国内で戦われたわけではなかった。戦闘はもっぱらキューバなどのスペインの植民地で起こり、軍事力に勝るアメリカが圧勝した。その結果、スペイン植民地だったプエルトリコ、フィリピン、グアムなどがアメリカ領となった。ハワイは、アジア諸国へ向かう格好の「中継地点」として併合されることになった。

 日本が真珠湾を攻撃したときはまだアメリカ合衆国の州ではありませんでした。戦後に50番目の州になりました。

 日本から移住した人びとの大半は、主に経済的な理由で故郷を離れる決意をした。広島や山口などの中国地方と、熊本などの九州出身者が多かった。一八八〇年代、これらの地域は景気がよくなかった。こうした時期に、「天竺の国」ハワイでは、三年間で四〇〇円もの金を貯めることができるという噂がとびかった。農家の次男や三男はこの話に飛びついた。

また、ひとつの村や地域の出身者がまとまって移住することもあった。これは、村の誰それの「成功物語」を耳にして(もっとも、それが正しい情報ではないことの方が多かったが)、他の者も心を動かされたからだ。山口県の大島郡からは住民の約三割がハワイへ移住した。

 本を読めばわかりますが、女性の中にはハワイで売春をさせられたことも多かったようです。もちろん外国人に対する生活保護なんてありません。

 日本からも移住がはじまった。明治元年の一八六八年に、一四九名がハワイへ渡った。ハワイの農場経営者たちは、「元年者」と呼ばれたこの日本人移民に大いに期待したが、かれらの定着率は悪かった。移住者の多くは農作業に不慣れだったし、経営者と賃金や労働条件をめぐって対立した結果、ほとんどが農場を去ってしまった。

 

結局、十九世紀末から二十世紀前半にかけて、約二二万もの人びとが日本からハワイへ渡った。

 

戦争が開始された当時、ハワイ人口の約四割「日本人」だった。もちろん、ハワイで生まれた二世や三世はアメリカ国籍を持っていたが、社会的には「ジャパニーズ」と呼ばれていた。

 

「非国民」「スパイ」などという疑いの眼差しを向けられた日系人社会は、必死になってアメリカへの忠誠心を示そうとした。十二月七日の攻撃直後、日系人の多くは家庭内にある「日本」を連想させるものを処分した。神棚を取り外し、家宝の日本刀を土に埋め、日本語の本や雑誌、日本の親族の写真を焼き捨てた。ひな祭りや盆踊りや灯ろう流しなどの年中行事も取り止めになった。正月の餅つきも行われなかった。和服は洋服にとってかわられた。

 日本語の姓を変えた人が二〇〇人以上いた。キムラはケアロハになり、ナカムラはマクファーレンになった。名を変えた人は二〇〇〇人を超えた。タケシやヨウコという名前が、ダニエルやエレンになった(23)。日本に忠誠を感じているとしても、それは決して見せてはならない感情だった。

 

 日系人の苦難は挙げていけばきりがないです。その人たちの歴史があって今があります。だからこそ、パールハーバーがいかにしてアメリカの基地になったのか。ハワイの歴史を抜きにしてパールハーバーという歴史を考えることは今のところ私にはできません。ハワイは最も多文化な州と言われていますが、最もアメリカという国の性質を表している州だと個人的には思います。

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 アメリカの歴史は東海岸での独立から始まり、西海岸には19世紀半ばに到達。それ以降は太平洋へ向かい日本や大洋州にも進出しています。東海岸の独立時の13州から西へ向かうほど領土が大きくなっているような気がしますが、これはおそらく気のせいでしょう。ハワイを併合に追い込んで、フィリピン、そして日本との戦争…日本人の大多数はこの戦争でアメリカに対する認識が止まっているかも知れませんが、負けを知らなかったアメリカ政府はその後アメリカから遠く離れた、ベトナム、アフリカ、中東で『正義』のために戦争を行っています。

 私だって、アメリカのすべてを否定したいわけではありません。産業や科学に対するアメリカの功績は計り知れないものがあります。そしてこれは、家族の話ですが、私の親戚(祖父の妹)は戦後、カリフォルニア州に渡りアメリカ人になりました。いや、国籍離脱がどうこう言っていたので二重国籍かもしれません。まぁでも国会議員ではないので大丈夫でしょう。そしてアメリカで日系人の加藤さんと結婚して、子供に恵まれその子も日系人の方と結婚して、日本人の顔をしているけれど日本語が話せないアメリカ人の孫に囲まれて今も煙草をぷかぷかしながら幸せに暮らしています。2年後に会いに行きたいと思っています。それまでお互い生きていればいいんですけれど。

 最後に、この本はあの「ハメハメハ大王」の歌を通して日本に対して鋭いことを書いています。年末が近づいてハワイに今年も多くの人が行きますが、南の島の楽園の暗い部分を見てくる人は少ないでしょう。

 

 

 

地図を見ればわかりますが、アメリカがハワイを手放すことはありません。

 

 引用はこの本からです。

 

イザベラ・バードのハワイ紀行

イザベラ・バードのハワイ紀行

 

 近いうちに読みます。他にもマーク・トウェインジャック・ロンドンが19世紀のハワイを書いています。