ねじまき士クロニクル

とある整備士のつぶやき

ラピュタと日本

 『ラピュタ』とはジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』に出てくる、空に浮く島にある王国の名前です。名前だけはジブリ映画でおなじみかもしれません。ジョナサン・スウィフトが書いた原作の方では、天空に浮かぶラピュタに行くきっかけとなったのも、帰ることができたのも『日本』という国のおかげです。日本が鎖国中に書かれた欧米の冒険小説には『日本』という国がよく出てきます。当時のヨーロッパの人たちには、ちょんまげ姿で異教を信仰して鎖国していた日本も、空に浮かぶような空想の国と同様に『不思議の国』と感じられたのかもしれません。

 『ガリバー旅行記』には4か国登場しますが、残念ながら日本では有名なのは小人の国と巨人の国の二か国でだけです。『ガリバー旅行記』は元々は風刺文学であり、後半の2か国にこそ、より作者の風刺が効いています。風刺をしすぎたのかどうかが原因かはわかりませんが、作者は精神がおかしくなって死んでしまいましたが…

 ストーリー自体はあってないようなものです。船で海に出たガリバーが島に流されたり、海賊に置き去りにされたりして不思議な国に行くという設定です。ラピュタの国である3か国目は章が始まって4ページ目ぐらいですでに海賊に捕まっています。フウイヌム国という馬が出てくる4か国目では章が始まってだいたい2ページくらいで船員が海賊だったことが判明し監禁されています。そんなおっちょこちょいのガリバーの物語です。

 そんなお茶目なガリバーは、ラピュタの国に行く前に、小人の国と巨人の国でそれぞれ大変な目にあっているというのに『世界をこの目で見たい』という衝動によって妻子を残して船に乗ります。冒険物というのはこういった単純な動機以上に高尚な動機はないのかもしれません。他に冒険小説として有名な『ロビンソン・クルーソー』も大体そんな理由でした。親に引き留められているのに何度も海に出て終いには無人島?で何十年か過ごすことになりました。

 そのラピュタの国に行く前に海賊に捕まったガリバーですが、その海賊の首領が日本人でした。その日本人はオランダ語は下手糞だが、寛容な心を持つ人として描かれています。日本人の外国語下手なのは今に始まったことではないのかもしれません。殺されかけたガリバーでしたが『寛容な』日本人のおかげで殺されることなく島に置き去りにされました。そこで脱出の手段を考えているところに、空に巨大な島が存在していることに気づきます。それがラピュタです。

 そのラピュタの住人(身分の高い人)は頭を左右どちらかに傾けていて常に物思いにふけっています。会話の最中でも物思いにふけってそれを忘れてしまうので、会話をしていることや、話を聞いていることを思い出させるために、召使に『短い棒に膀胱を括り付けた道具』で口や耳を叩いてもらっています。ガリバーも国に行ったばかりのころは会話の最中にラピュタの住人同様に召使に口や耳をぽこぽこ道具で叩かれています。しばらくするとガリバーはラピュタの国の言葉を理解し会話もできるようになります。そしてラピュタは数学と音楽以外は発達しておらず、常に取るに足りない何かを心配している国であることに徐々に気づいていきます。

 私が『飛行島』あるいは『浮遊島』と訳した言葉は、この国ではラピュタと発音するが、語源はわからずじまいだった。いまは使われていない古代の言語によると、ラップは『高い』、ウンターは『統治者』を意味するのだという。そこから、ラプンターが転じてラピュタになったのではないかという説もある。だが、わたしには、その説はいささかこじつけに思えた。

 ラピュタという飛行する島は直径7キロ、厚さ270メートルほどで磁力により空中に浮いています(ラピュタの国が支配する大陸が磁石になっている)。最大6400メートルまで浮上可能です。地上で反抗する街があると、街の頭上に居座り太陽を遮ったり、ひどい場合には上から街を押しつぶします。

 ラピュタの国の技術研究所で未来を予知しているのではないかという記述もあります。18世紀に書かれているとはいえ『遺伝子操作技術』『Wikipedia』『エアコン』などの概念を提示しています。日本へ行く途中に寄り道した国では『不死の人間』『死者の蘇生』についても扱っています。作者は皮肉を込めて実現不可能なものとしてこれらを書いていますが、現代は18世紀の創造よりはるか先に進歩した未来になっています。現代の技術と比べてみるのも面白いです。『不死の人間』がいると聞いて喜ぶガリバーに、現地の人が諫めている言葉を紹介します。どう生きるかについて普遍性がある言葉です。

きみの創造するストラルドブルグ(老い続けるが不死の人)の生活は、若さや健康、活力が永遠に続くことを前提としている、だからこそ理屈に合わず実際とはかけ離れてしまっているのだ、とその貴族は続けた。いくら希望をふくらませるのは自由だといっても、人間の身でそんなものを願うのはあまりに馬鹿げているのではないか。つまり、ここで考えるべきことは富と健康に恵まれて、若さの特権を満喫しながら永遠に生きることを望むかどうかではない。老化にともなう重荷をすべて背負いこみながら、けっして終わらない一生をどう送りつづけるか、という問題なのだ。こんな苦しい境遇で永遠に生きたいと思う人間など、本来ならほとんどいないはずだ。だがさっきも話に出たバルニバービ(架空の国)や日本では、誰もが死を少しでも先延ばししたい、遅ければ遅いほどありがたいと思っているし、悲痛や苦痛のまっただなかにいる人間をのぞいて、喜んで死にたいと願うものはいない。きみがこれまで旅をしてきた国、そしてきみの故国でも、やはりこう考える人間が多かったのではないだろうか

 その後、ラピュタの国を出て、日本へ渡ったガリバーは江戸で皇帝(将軍)と会い、ナンガサク(長崎)へ送ってもらい、踏み絵を踏まされそうになりながらも(ガリバーはもちろんキリスト教徒)、最終的にはイギリスへ帰ることができました。とは言ってもまたすぐ海に出ますが。

 『踏み絵』というものが当時の欧米でも知られていたのがここの記述からわかります。『長崎』という地名も出てきます。日本へ行く際にはわざわざ国籍を『オランダ人』と偽って入国しています。もちろん作者は日本に来たことはありませんが、荒唐無稽なものを書きながら、事実を混ぜることも忘れてはいませんでした。

 最後の4か国目、『ヤフー』と呼ばれる人間が『馬』に支配されているフウイヌム国ではガリバーの風刺が一層激しくなります。馬の国で人間嫌いになっていたガリバーはイギリスへ帰った後で、妻子を遠ざけるようになり馬を飼い穏やかな日々を過ごすことに決めたのでした。作者が最も訴えたかったことは最後の国である『フウイヌム国』の文中に書いてあります。しかし『フウイヌム国』の内容の紹介はあまりにも過激なのでやめておきます。

 巨人になったガリバーが小便をかけて火事を消したり、小人になったガリバーが巨大な鳥にさらわれたりするのは読んでいて面白いですが、それでもガリバー旅行記は子供の読み物ではなく大人向けの読み物です。ジブリの映画は名前と設定を借りた全くの別物です。それでも、元々の『ラピュタ』もジブリの『ラピュタ』も日本と関わりがあるということは嬉しい話ですね。

 

ガリバー旅行記 (角川文庫)

ガリバー旅行記 (角川文庫)

 

 権利の関係かわかりませんが、kindleにはあとがきや解説がないものが多いです。この本のkindleにも残念ながら解説はありません。紙の方が良いかもしれません。『ガリバー旅行記』は各出版社からいくつか種類かありますが、翻訳が古いものは避けています。どこかの村上春樹が言っていたように原典には寿命がありませんが、一部を除き翻訳には寿命があると私も考えています。