ねじまき士クロニクル

とある整備士のつぶやき

インカ帝国とキリスト教の出会い

われらの皇帝の時代に、皇帝の偉大な御力と幸運によってこのようなことが達成されたのだから、これは皇帝陛下のご名誉であろう。さらに、信者の力により、多くの戦いで勝利が得られ、数限りない土地が発見、征服されて、ひじょうな富が、国王や国やじぶんたちのものになったのだから、これは信者たちにとって喜ばしいことだろう。すなわち、キリスト教徒たちは、不信心者たちに脅威を与え、すべての人々に驚嘆をもたらしたといってもいい。なぜなら、古代であれ現代であれ、このようにわずかな軍勢で雲霞のごとき相手に立ち向かい、様々な気候の海の湾、遠い土地を踏破して、見たことも聞いたこともない地を征服した人々がいただろうか。まただれがエスパニャ人に比べられるであろうか。ユダヤ人、ギリシャ人、そして誰にも増して記録されているローマ人ですらも比べ物にならない。そのわけは、ローマ人が多くの地方を平定したのが事実としても、相手と互角、またはほとんどちがわぬ兵力で戦ったのであり、熟知した土地で、必要な補給も受け、その将兵には給与が支払われていた。ところが、われらエスパニャ人の場合には、兵力はわずかであり、みな合わせても200人か300人にすぎず、ときには100人、いやもっと少ないこともあった。カピタン・ペドラリアスが率いた1300人というのが、この20年間ただ一度だけの大人数であった。しかも、いろいろな場合に出征した者たちは、給与もうけず、強制もされていなかった。じぶんの意志で参加し、費用も自弁だったのである。そのような状況下で、すべてのキリスト教王、すべての異端の王の国を上回る広大な土地がわれわれの時代に征服されたのである。しかもこの人々は、パンも、ぶどう酒も知らない連中のひどい糧食を食べ草や根や果実で命をつなぎながら、いまや世間も知ってのとおりの征服をやり遂げたのであった。そこで、ここでは、ヌエバ・カスティリャ(ペルー)征服においておこったことだけに話をかぎることとし、それも冗漫に陥るのを避けるため、簡潔に記したい。

 

 

 1500年代に日本にキリスト教の宣教師が来ましたが、秀吉が布教活動や奴隷貿易を禁止したことや、その後の江戸時代の鎖国政策により日本においてキリスト教が布教して民衆の支持を得ることはありませんでした。

 では同じ時代、違う場所では何が起きていたか。インカ帝国キリスト教徒の出会いを紹介します。時は1532年11月16日土曜日、場所は南米ペルー北部の都市カハマルカ。主な登場人物は、スペイン総督ピサロ聖ドミニコ会のビセンテ・デ・バルデルデ神父、そしてインカ帝国の王アタバリバ(アタワルパ)です。大航海時代を援助していたスペイン(スポンサー)への報告書という形で多数の文献が残されています。日本語に翻訳されているものからの引用します。

 インカ帝国とスペインの征服者との出会いはキリスト教の歴史の中でも一番ドラマチックだと個人的に思います。8万人以上のインディオ達の囲いの中を168人のスペイン人が進み、皇帝アタバリバと謁見する場面です。

  総督は、それを見ると、修道士ビセンテ神父に、通辞を連れてアタバリバと話しに行ってくれないか、と頼んだ。彼はそれを承諾し、片手に十字架、片手に聖書を持って進み、兵士のたちの中に入って、アタバリバのいるところまで来た。そして、通辞を介して彼に語りかけた。「私は神の司祭である。私は神の御事をキリスト教徒に教え、また同時にお前たちに教えるためにここに来た。私が教えることは、神がわれわれに教え給うたことどもだ。それはこの本(聖書)に書いてあるそれゆえに、神およびキリスト教徒たちに代わり、友とならんことをおまえに要請する。それが神の御心だからだ。そうすればお前にとって良い結果となろう。総督がおまえをまっておられるから、行って話すがよい」

 アタバリバは、本(聖書)を見たいからよこせ、と言ったので、閉じたままそれが手渡された。そしてアタバリバがうまく開けないので、神父が腕を伸ばして開けようとした。するとアタバリバは、空けてもらいたくない、といわんばかりにひどく蔑んだ態度でその腕を叩いた。そして、じぶんで開けようと一所懸命にやってやっと開いた。だがそれまでのインディオたちのようにその文字にも紙にも感動を示さず、じぶんから五、六歩のところにそれを投げ捨てた。

 

 神父からの報告を聞いたピサロは「サンティアゴ!!」という合図とともにアタバリバを生け捕りにし、集まっていた部族の長やアタバリバの側近は皆殺しにされました。インカ帝国は王の権力がものすごく大きかったので、アタバリバを生け捕りにしている少数のスペイン人に刃向かうことはなかったそうです。

 インカ帝国には文字がなかったのでアタバルバには聖書というものが理解できませんでした。この謁見自体がピサロたちによって周到に用意されていた罠でした。

 しばらくは民衆の統治、部族の統治、財宝の収集の為にアタバリバも生かされていましたが、1533年7月26日キリスト教に改宗後、絞首刑にされました。アタバリバのキリスト教への改宗は茶番劇です。インカ帝国は火葬をしたら死後の世界がなくなるのでそれを避けるために直前になってキリスト教に改宗したということです。

 指導者層を失ったインカ帝国は滅亡します。元々信仰されていた宗教の施設も破壊されています。有名なマチュピチュも発見されてからまだ100年ほどしか経っていませんが、隔絶された高地にあったからこそ残っているのかもしれません。

 この本やインカの歴史を学んで征服したスペイン人は特別ひどいと思うかもしれませんが、征服されたインカ帝国ももちろん戦争や他部族の征服というものはありました。これらのことはヨーロッパにとってインディアンは人ではないと思われていた昔の話、欲に宗教が絡んでいた昔々の話です?

 一つの思考実験ですが、もしもインカ帝国のように日本の戦国時代から戦国大名の指導者層がごっそりといなくなってしまったらどうなっていたでしょうか?小勢力が乱立し内戦が勃発?朝廷の権威復活?儒教仏教の衰退そして宣教師によってキリスト教国家になっていた…?

 

 

インカ帝国遠征記 (中公文庫BIBLIO)

インカ帝国遠征記 (中公文庫BIBLIO)

 

 

 

  『大航海時代』という言葉を作ったのはこの作者です。引用は『インカ帝国遠征記』からです。

 

 

 

 

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

 

  最近Kindleに追加されました。スペインの司教でありながらインディオの立場に立って報告書を書いています。しかしラスカサスも時代の限界により奴隷貿易までは否定はしていません。文字通りインディアンの『破壊』について語られています。内容があまりにも過激なのでスペインでは禁書になっているとかいないとか。