ねじまき士クロニクル

とある整備士のつぶやき

キリストの勝利

  キリスト教のない世界というものを知りたいと思いました。ちなみに私は無宗教です。祖父が死んだとき、祖母はお坊さんにとても高額な金を払って、戒名に『義』という漢字を入れてもらいました。祖母はとても嬉しそうでした。私にはそれが理解できませんでした。一生理解できないと思います。そして毎年夏になると、お坊さんからバイクの修理の依頼がよく舞い込んできていたことを思い出します。年に一度お盆の季節しかバイクを動かさないからバッテリーがダメになっていました。

 私はキリスト教に『目覚める』ことなく生きて、お坊さんに戒名をもらうことなく名無しのままで死ぬ予定です。趣味は寺社仏閣めぐりですが、純粋に古い建物が文化として残っているから好きという程度です。津軽太宰治の旧居や、奈良公園のそばの志賀直哉旧居、愛知の明治村漱石と鴎外の家、各地の城…古いものが好きというただの整備士です。

 

 今の世界は言うまでもなく、ほぼすべてキリスト教徒(欧米)が作ってきたものです。例えば今は西暦2016年ですが、そもそも西暦というものもローマの修道士ディオニシウス・エクシグウスによって西暦525年に発明されたものです。それまではその時々のコンスル(執政官)の名前を年号として使用していたり(安倍総理2年目の年という感じです)、キリスト教を迫害していたディオクレティアヌス帝の紀元の年号が使用されたりしていました。キリスト教を迫害していた皇帝紀元の年では不都合であり、主であるイエス生誕を基準の紀元にしようと500年以上時間を巻き戻して作られたものが西暦です。

 そのキリスト教がなかった世界のことが知りたいと思いました。ヨーロッパにキリスト教がなかった時のこと、知りたいとは思いませんか?

 

 そこで選んだのが塩野七生著の『ローマ人の物語』です。文庫本43冊分、電子書籍でも2万円を超える価格のシリーズですが、キリスト教がなかった多神教都市国家ローマの時代から、キリスト教を国教にしたローマ帝国の時代までを書いてくれています。キリスト教について知りたくて読みましたが、読み物として純粋に引き込まれてしまいました。好きな皇帝は二度も島にひきこもったティベリウスと、キリスト教に対して最後の抵抗をしたユリアヌスです。他の皇帝も毒を盛られたり、落雷により亡くなったり、敵につかまったり、推薦されて皇帝になった直後すぐ殺されたり…皇帝とはいえなかなか大変なようです。

 ローマ帝国の政策として繰り返し『寛容』と『敗者との同化』という言葉が使われています。一神教の『ユダヤ教』もローマ帝国の統治に差支えなければ許されています。敗者との同化との例ですが、支配した地域からでも国を統治する皇帝が選ばれています。これを帝国時代の日本で例えれば、朝鮮や満州出身者が首相に選ばれるようなものと作品の中で語っていました。

 元々、ローマはギリシアや日本のように多神教の世界でした。その後キリスト教が公認を受け、国教になりました。そして、キリスト教の普及により『寛容』の精神が失われていき、ローマ人としての価値観が失われてローマ帝国が崩壊したと書かれています。著者が思う価値観の『ローマ人』がいなくなった時に『ローマ人の物語』の筆を置いています。

 キリスト教が誕生してから公認され国教となるには300年以上の年月が経っています。かの有名な五賢帝による『パクス・ロマーナ』の時代にはキリスト教は民衆には普及していませんでした。キリスト教が普及していない時代がローマ帝国の最盛期です。3世紀になり蛮族の攻撃にさらされるようになると同時に少しずつキリスト教が普及していきます。

 それを踏まえて塩野氏はキリスト教のがなぜ布教したのかに関してギボンとドッズ、二人の学者の意見を紹介しています。

 まずはギボン

  1. 断固として一神教で通したこと
  2. 未来の生を保証する教理を打ち立てたこと
  3. 初期キリスト教での奇跡の数々
  4. キリスト教の人々の純粋で禁欲的な生き方
  5. キリスト教徒の社会が国家の中枢まで浸透したこと

 

 そしてドッズ

  1. キリスト教そのものがもつ、絶対的な排他性
  2. キリスト教がだれに対しても開かれていたこと
  3. 人々に勇気を与えるのに成功したこと
  4. キリスト教に帰依することが、現実の生活でも利益をもたらしていたこと

  

 ドッズの4番目の意見は創価学会を考えると現代の日本でもあり得ることです。

 このシリーズだけでキリスト教というものを理解するのはもちろん無理ですが、一神教の世界というものがぼんやりとわかってきたような気がします。

 

 最後に、日本との比較ですが、キリスト教の神の概念は日本の神の概念とは違います。同じ言葉で表していますが中身は全くの別物です。一神教の神は『絶対神』です。ですが多神教の神は『八百万の神』です。違う概念を同じ『神』という言葉で表しているから理解しにくいし、布教がしにくいという問題があります。布教しにくくて問題と思うか、布教されにくくて幸運だったと思うかは個人次第ですが。

 日本人は昔から、異国の宗教に寛容です。写真撮影禁止なので持っていませんが、京都の三十三間堂にはヒンドゥー教の神様や、ゾロアスター教の神様が日本風にアレンジされて偶像として崇拝されています。そして今、日本ではクリスマスはなぜか恋人たちで過ごす日として認識されていますが、それも日本流のクリスマスということで…いいと思います。

 旧約聖書新約聖書をいつかkindleで読もうと思っていますが、絶望的に読みにくそうです。読み終えるまでの平均的な時間が133時間と出ています。何かの間違いであることを祈ります。

 

ローマ人の物語 (14) キリストの勝利

ローマ人の物語 (14) キリストの勝利