まず初めに、これはカープの背番号44番の話ではありません。鹿児島の祖父母に感謝する、チャンスで打ってくれる選手に何も疑うようなことはありません。
そして夏目漱石の『坊っちゃん』の作品自体にケチをつける訳でもありません。
私が言いたいのは愛媛県松山市の坊っちゃんに対する姿勢への疑問です。
これは松山城ロープウェイ乗り場での記念撮影スポットです。
そしてこれは道後温泉です。
あたかも、坊っちゃんとマドンナが恋人かのように並べられています。これだけではなく、松山には「坊っちゃん」「マドンナ」と名付けられたものばかりです。愛媛県や松山では隙があればみかんを押してきますし、坊っちゃんやマドンナにこんな風に頼らなくても魅力的な場所だと思います…
マドンナは作中では松山で一番の別嬪さんと紹介されていますが、坊っちゃんの恋人ではありません。そもそも面識もありません。会話したこともありません。作中、マドンナが言葉を発することもありません。
マドンナは、坊っちゃんの友人の教師うらなり君の元婚約者です。しかし、諸事情からそれを裏切って、赤シャツと呼ばれている教頭と結婚することを選んだ女性です。うらなり君は赤シャツにはめられて家と母を残して、マドンナと別れて松山から宮崎の延岡まで飛ばされることになりました。作品では坊っちゃんと山嵐がこの赤シャツを『ぼこぼこ』にして、松山を去ることで終わっています。坊っちゃんとマドンナがカップルな要素は全くありません。むしろマドンナは悪い女です。悪い女は良い女でもあり、魅力があるのはわかりますが、この2人が並べられることに違和感があります。
この作品は、坊っちゃんと清という召使いのおばあちゃん(血は繋がっていない)の物語です。もし坊っちゃんの隣に誰かを並べるならば、清を並べて欲しいです。清は松山でも東京でも良いから、坊っちゃんと同じ家で住みたいと言っていました。死ぬ時も一緒のお墓に入りたいと言っていました。おばあちゃんと孫では観光地的にパネルに顔を入れにくい組み合わせで華がないのかもしれませんが…作品が改変されているようで悲しいですね…小説以外の『坊っちゃん』を基に町おこしに使っているのかもしれませんが。
作中では、清が松山に行くことはありませんでしたが、作中では果たせなかった『松山へおばあちゃんと行くこと』を孫からおばあちゃんへの孝行の聖地として売り出せば面白いのかもしれませんね。
おれは空を見ながら清のことを考えている。金があって、清をつれて、こんな綺麗な所へ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺苦茶だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥ずかしい心持ちはしない。
こんな綺麗な所とは瀬戸内海のことです。野だとは作品の最後で坊っちゃんが『ぼこぼこ』にする相手です。他にも坊っちゃんはことあるごとに清のことを思い出しています。そもそも「坊っちゃん」という言葉は清から見た主人公の呼び名です…
作品の場所に関して
坊っちゃんは作品の中で松山が温泉以外はひどい場所だと言っています。松山へ来た時には『野蛮な所』と言って、松山を去るときは『不浄な地』を離れると言っています。他に、うらなり君の赴任先の延岡についても『山の中の猿』を相手にしに行くのかと言っています。山嵐の出身は『会津』です。作品(坊っちゃんと清)の中では『箱根』から西は辺鄙な所という認識です。東京以外の場所をひどく書いていますがもしかしたらこの『坊っちゃん』は海外のとある小説を意識して書いているのかもしれません…それか、もしかしたら単純に作者の趣味嗜好かもしれません。