ねじまき士クロニクル

いちごの味に似ている

25年間の個人的な

 今からおよそ25年前、まだ私が子供だった頃、母はカープのとある若手選手が好きで、TVで見るたびに「かっこいい」とバットを構える選手に向かって言っていました。「そんなにいうなら、とうさんとけっこんするんじゃなくて、このひととけっこんすればよかったのに」と母に向かい結婚の意味も分からず言っていた記憶があります。これがカープに関する一番最初の記憶です。

 それから25年…「けっこん」の意味も分からなかった子供は大人になり結婚の意味を知り親の偉大さを知る年になりました。もちろんカープにも25年の月日が流れました。

 「野球人生に悔いなし」と大野投手が引退し、いつかは選手が引退することを知りました。そして4番を打っていた選手が巨人に行きました。子供の頃は、カープのユニフォームを着ていた選手が巨人のユニフォームを着て相手のチームにいるというのがなかなか理解できなかった記憶があります。

 その後、やはり4番の選手が今度は阪神に行ったり、またも4番の選手が阪神に行ったりしました。二人とも広島出身だったので、当時の私には、これもなかなか理解できなかった記憶があります。

 子供の頃に好きだった野村選手も浅井選手も緒方選手も引退(三塁打と本塁憤死、木村拓哉のフライは忘れられないですよね)市民球場も解体され、マツダスタジアムになりました。授業をさぼって市民球場へ野球部の応援に行ったのはいい思い出です。あとで怒られましたが。

 毎年、開幕前には今年はいけるかもしれないと勝手に思い込んでいましたが、6月29日の黒田投手のタイムリーツーベースを現地で見た時に今年は本当にいけるかもしれないと思いました。物心ついてからずっと弱く、貯金があるだけでも不思議な気持ちで、貯金が二桁になった時は間違いかと思っていましたが、今はもうあと一つ勝てば優勝です。昨日、今日積み上げたものではなく、カープが25年間積み上げた結果(もしくは25年間たまったもの)がすぐそこにあります。

 私がまだ子供だった頃に応援していた選手は残念ながらもう誰もいませんが、コーチになり監督になりスカウトになり今のカープを支えてくれています。いままでもこれからも強くても弱くても私はずっとカープファンです。

 その若手選手もグラウンドの外で甘いものを食べながらカープをこれからも応援してくれるでしょう。

 その話を母にすると覚えておらず、今は鈴木誠也に夢中の様ですが…